おうし座
煩悩はどこへ行った?
溺れ溺れて
今週のおうし座は、「百八のかねて迷ひや闇のむめ」(宝井其角)という句のごとし。あるいは、煩悩を断ち切ろうとするより、あえてその粋を受け入れ切っていくような星回り。
大晦日の夜に煩悩と同じ数とされる百八つの鐘を撞きだすことで、その鐘の音を聞くものは煩悩を断ちきり、新年には仏心を呼び起こすことができる、とされていますが、それは裏を返せば、それだけの悩みに溺れ、それをやっとくぐり抜けて初めてさとりというものがあるということでもあります。
作者はそんな除夜の鐘を聞きながら、ふと女のことが思い出され、悩ましくてたまらなくなったのでしょう。それはちょうど匂いばかりで目に見えない闇の梅に迷うようなものよ、と。あえてそこに浸ってみせたのでしょう。
なお「かねて」という箇所は、「鐘で」と「兼ねて」の掛け言葉になっており、後者には「前もって」「以前から」という意味があります。つまり作者はここで、兼ねてよりわが身に宿ってはうずいてきた百八の煩悩が闇に溶け込み、それが梅の香りに変じて薫ってきたという得も言われぬ体験について、それとなくほのめかしているのです。
12月29日に拡大と発展の星である木星が、おうし座から数えて「循環」を意味する11番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、これまでの経験が巡り巡って別のものへと不意に転換していくプロセスを体験していくことになるでしょう。
人間は弱い、だからこそ
近年の欧米社会では、プロテスタントの考えるように人間を強いものとして考えるのではなく、弱いものと見なし、弱者の権利を助けるイスラム教の考え方に興味・共感を持つ人が増えているという話をよく耳にするようになりました。これは例えば預言者ムハンマドの言行録である『ハディース』の次のような一節を見ると実感しやすいかも知れません。
力強いとは、相手を倒すことではない。それは、怒って当然というときに心を自制する力を持っていることである
一見すると、この一節は強さの勧めのようにも受け取れますが、そうではありません。むしろ、人としての「弱さ」から生じてきてしまう怒りや寂しさなどの「衝動を自制する」ことの難しさを前提にしているのです。
私たちは、しばしば自分の怒りや寂しさ、支配欲に蓋をして隠したまま、何事もなかったように笑ったり、手を取り合おうとしますが、そうした風潮もまた「人は強くあれるし、自分はそうあらねばならない」という近代的な価値観の裏返しなのではないでしょうか。
逆に、自分の弱さを受け入れ、秘めた悲しさや辛さを、行であれ俳句であれ、何がしかの仕方で表現し共有しようとするとき、其角の体験した「闇の梅」ごとき地平が開けてくるのかも知れません。年末年始のおうし座も、そんなことを大切にしていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
煩悩は闇に溶けゆく