おうし座
石ころみたいに存在してみる
露けきもの
今週のおうし座は、「石ころも露けきものの一つかな」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、忘れてはいけない原点に立ち返っていくような星回り。
何もかも露にぬれてしっとりとしている。見ればそのへんの石ころも、露にぬれて風情ありげに見えることだ。というのが大意でしょうか。
一句に描かれているのは石ころと露のみですが、決して素っ気ない句ではありません。「石ころも」とあるように、石ころだけではなく、その周囲に広がっている秋の景色やそこに生きている生き物やひとびともまた露を帯びているのです。
しかし石ころもその一つであるところの「露けきもの」とはいったい何なのでしょうか。伝統的に和歌などでは「露けし」とは涙にぬれている意を表わすことが多いですが、この句はそこまで感傷的なものではありません。
むしろ、作者はここでこの世界は苦の世界であるという原点に立ち返っているのであり、道に落ちている石ころでさえそのことを感じているのに、自分を含めた人間の方は、ずいぶんと「なまくら」だよな、と痛感しているのではないでしょうか。もちろん、世の中の九割方はそういう人な訳ですが。
29日におうし座から数えて「なまくら」を意味する4番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、虚子のような俯瞰的まなざしを自身やその周囲に向けていくことになるかも知れません。
宇宙のように複数であれ
フェルナンド・ペソアという詩人は1888年にポルトガルで生まれ、八歳のとき母親と義父に連れられて南アフリカに移住し、そこでイギリス風の教育を受けて英語でものを書き、成人後にひとりでリスボンに帰って(今でいう帰国子女)、商社で働いて生計を立てつつポルトガル語で詩作を続け、四十七歳で没したという。
この経歴だけでも幾重もの「仕掛け」のようなものを感じさせますが、さらに彼は三人もの詩人を「発明」して、それぞれに丹念なライフ・ヒストリーを与え、それぞれの名で詩集を出しています(もちろん、「自分本人」が書いた詩集とは別に)。そしてその中のひとりが書いた詩には、次のような一節があります。
詩人はふりをするものだ/そのふりは完璧すぎて/ほんとうに感じている/苦痛のふりまでしてしまう(詩と詩人について)
今週のおうし座もまた、どこかでぺソアのように、巧妙な「ふり」を通じて身に巣食うひそやかな毒を発散されたし。
おうし座の今週のキーワード
詩人の仕事とは、自然と共鳴し、それを洗練された言葉で表現すること