おうし座
風と友愛
取り合わせの妙
今週のおうし座は、「日なたぼこのどこかをいつも風通る」(坂西敦子)という句のごとし。あるいは、普通の暮らしのなかで世界と深々と向きあっていくような星回り。
掲句は「日なたぼこ」という、慎ましく穏やかな日常を連想させる季語から始まりつつも、予想外の展開へと結びついています。というのも、冬の日射しを浴びてじっと暖まる日なたぼっこは、通常、風のない陽だまりを指すから。
でも、作者はそれをあえてやっている。そこで新しい空気が吹き込まれ、句のもつ奥行きが広がり、いったん閉じかかった世界がふたたび遠くの方まで開けていく。
すってー、はいてー。もっとおおーきく!私の呼吸に合わせてー。すってー、はいてー。
何度か読んでいると、伝わるか伝わらないかのところで、そんな風に静かに促されているような気分になってきます。こうした豊かな言葉遣いというか、普通に暮らしつつも、深く迫力をもって世界と向きあっていくことは、ちゃんと両立するんだなということが、新鮮に響いてくる句と言えるのではないでしょうか。
2月3日23時59分に立春を迎えていく(太陽が水瓶座15度へ移行)今週のおうし座にとって、自分の世界を小さく閉じた系へと縮減させるのではなく、大きく開いた系へとすっと開いていくことこそが、大きなテーマとなっていきそうです。
真の友愛
人間にとって猫という存在も、掲句の「風」に近いかも知れません。例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』の「吾輩は猫である。名前はまだない。」という書き出しは日本人ならほとんど知らない人がいないくらい有名なフレーズですが、猫の飄々とした風情が端的によく現れているように思います。
そしてこれは猫を飼ったことのある人なら同意してもらえると思うのですが、猫と戯れていると、しばしば猫の方こそが人間を相手に暇つぶしをしているのではないかという気がして来ます。それは確かに奇妙な気分ではあるのですが、同時に重たい何かから解放されたような、ホッとさせられるひと時でもあるのです。
そんな時に思い出すのが、モンテーニュの『エセー』に出てくる、「真の友愛においては、私は友を自分の方に引き寄せるよりも、むしろ自分を友に与える」という一節。
おそらく、そうした友愛がどうして成り立ち得るのかと聞かれても、モンテーニュは「それは彼が彼であったから」であり、「私が私だったから」という答えるしかないでしょう。
同様に、今週のあなたもまた、自分以外の何か誰かに自分を与え、遊ばれることを自分に許していくような感覚を抱いていきやすいはず。
今週のキーワード
むしろ自分を友に与える