おうし座
古代人として生きる
あれかこれか(二項対立)を超えるために
今週のおうし座は、ケルトの渦巻模様のごとし。あるいは、「脱中心」の世界観へと開かれていくような星回り。
キリスト教以前に栄えた文字を持たなかった民族であるケルトの代表的な装飾素材に、渦巻紋様トリスケル(Triskell)があげられます。三つ巴状になった渦の集合であるトリスケルは、古代ケルト人の死生観を表わす生、死、再生の象徴であると解釈されてきましたが、最近では火、水、土といった新たな意味付けも生じてきています。
鶴岡真弓さんと辻井喬さんの対話『ケルトの風に吹かれて』には、いま改めてそんなケルト文化のどこに注目するべきか、ということについて大いに示唆を与えてくれるように思います。例えば、次のような辻井さんの発言。
「ケルトの文化のあり方として非常に面白いなと思ったのは、中心というのかな、これがケルト文化のメッカである、中心だというのがないんですね。それは、なくて当然で、遍在しているのですから、中心があったら近代的になってしまう」
ケルトがあえて文字を持たなかったのは、単に未開で洗練されていなかったからではなくて、文字で表わすことができない文化をどんどん発達させていくためだったのではないか。そしてそれは、人間と自然、と肉体、過去と未来などが明確に区別していく近代合理主義的な知とはまったく異なる知の象徴的な姿でもあったのではないでしょうか。
15日におうし座から数えて「補償」を意味する8番目のいて座で今年最後の新月を迎えていくあなたもまた、自分のもとからいったんは失われてしまったものをいかにして取り戻していくべきかということについて、改めて真剣に意識が向いていきそうです。
新しい神を身に降ろす
神々と人間とのあいだにとても越えられない大きな隔たりがあると考えられるようになる以前、古代世界において神々と人間はほぼ同じ次元にある存在とみなされていました。
例えば、「神として崇められた」カエサルの息子、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは神の象徴として月桂樹の冠をかぶった姿で当時の硬貨に描かれましたが、これはケルトだけでなく古代ギリシャにも樹木信仰が広まっていたことの名残りで、とりわけ月桂樹はギリシア神話における光明神アポローンの霊木として崇められていました。
つまり、彼らにとって公の場でそうした冠をつけるということは、超自然の力が自分にも備わっていると本気で思い込むことに他ならず、はじめは手品に毛の生えた程度のまじないも、役回りを続けていくうちに、やがて本当に神の化身になりえるものなのです。
今週のおうし座もまた、現代の感覚と異質な古代人の感覚をもって、自らにふさわしい力を与えていくといいでしょう。
今週のキーワード
月桂樹