おうし座
“当たり前”になど存在していない
とびとびの配置
今週のおうし座は、「甘草の芽のとびとびのひとならび」(高野素十)という句のごとし。あるいは、自身の身に起きた「たまたま」を「あるがまま」へと置き換えていくような星回り。
甘草(カンゾウ)の芽はマメ科の多年草で、春先に淡い緑色の芽を出しますが、その際まさに掲句に詠まれているように、「とびとび」に大地からその芽が現れてきます。
この句は一見それだけの事実を描写しただけのように見えますが、作者はわざわざ当たり前のようなことを詠むことによって、誰もが当たり前のように思っていることが、なぜそのようにして在るのかという不可思議さの境地へと誘っているのではないでしょうか。
甘草の芽は自然淘汰を生き延びて、「たまたま」そこに現れたものですが、だからこそ連続的でまとまった姿ではなく離散的でばらばらに散らばった「とびとび」な姿それ自体が、そのまま甘草の存在理由となり、それは疑い得ない事実として私たちの目の前にあるのです。
けれど、それもまた言葉を通して事実から真実へと昇華されなければ、単なる‟説明”で終わってしまう。そこで作者は、「び」という語音を文字通り「とびとび」に配置し、甘草の存在形態を韻律に上に再構成することで、偶然を必然化したのだと言えます。
5月1日に自分自身の星座であるおうし座で水星(言葉)が天王星(覚醒と刷新)と重なっていく今週のあなたもまた、自分の存在理由と存在形態とを一致させていくことができるかどうかを少なからず問われていくことでしょう。
なつかしい面影を追って
一口に「自身の存在形態」といっても、そこには肉体の世界、感覚の世界、情念の世界、理知の世界など無数の種類によって構成されており、さらにそこに近代的知性を持ちえた合理的自分もいれば、何か強い衝動に突き動かされている原始的自分もいたりする。
しかし詩人の西脇順三郎は、そうした理知でも本能でも捉えきれない「幻影の人」としての人間というものがどんな人の中にいるのだと書いています。
「この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去つて行く。この人間は「原始人」以前の人間の奇跡的に残ってゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。」
どうも、私たちの中で「たまたま」の偶然が「ありのまま」の姿として必然化してくるのは、こうした「幻影の人」の仕業なのじゃないかと思うのです。今週はその面影をこそ追っていきましょう。
今週のキーワード
言葉と現象の一体化