おうし座
内なる野生を取り戻す
捨て身でいること
今週のおうし座は、食べるために、生きるために野生の獣たちを殺す猟師のごとし。あるいは、いつしか自分の中から失われた「野生」を今こそ取り戻していくような星回り。
本当の意味で海や山と共に生きてきた人は、わが身をときに自然に贈与することと引き換えに、獲物を得ている。ひるがえって、私たちはどうか。
自然の食物連鎖など知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、金銭をもって獣や魚の肉を買い、安全な場所で食らう。
自然の循環から遠く離れたところで、斬り殺された家畜の成れの果てを吸収し続けていれば、自身もまた命の枯れた死に体に近づいていくのも自然な成り行きではないか。
ある狩人は、「忍び撃ちは卑怯だ」と語ったという。数百メートルも離れたところから、ライフル銃で熊を撃つことを指して、ぽつりとそう言ったのである。
彼らの中には、捨て身の贈与を介して初めて成り立つ、命の思想が息づいているのでしょう。
今週のあなたのテーマは、自分が捨て身で居られるフィールドを見出していくこと。そこにこそ、今後歩んでいくべき道が広がっているように思います。
生きる自然と小さな日常
「整体」という言葉が普及するきっかけをつくった野口晴哉は、自然に生きるとは何も獣のように山野を駆け回ることではなく、
「白い飯を赤き血にして、黄色き糞にしていく」
その働きにこそあると言いました。いわく、
「生の食べ物を食べても、生水を飲んでも、海で泳いでも、森の中に入ってもそれが自然なのではない。人間という集合動物が街をつくり、その中に住んでいたって決して不自然ではないのだ。ただその生活のうちに生の要求をハッキリ活かすよう生くることが、生くる自然であることだけはハッキリしておかなければならない」(『月刊全生』)
つまり、あなたの身の内にある「よりよく生きる要求」、それを毎日の生活の中に反映させていくということ。
ただし、そうした自然の言葉は必ずしもこちらの都合のいい言葉とは限らず、実行しようとすれば今の生活や価値観が崩れていくことになります。
捨て身というのは、ただ大げさなことをすればいいという訳ではなく、そうした日常の小さな一コマでこそ求められるのです。
今週のキーワード
自然に喰われる