おうし座
生きる限り誤配は続く
「正しさ」の呪い
今週のおうし座は、「晩春のひかり誤配のままに鳥」(小津夜景)という句のごとし。あるいは、自分なりの「まちがい」の可能性を信じ続けていこうとするような星回り。
「晩春」に「鳥」とくれば、秋に南へ渡ってきた雁や鴨などの渡り鳥が、北の繁殖地へと帰っていく姿が思い浮かびます。そんな季節の移り変わりを知らせる「ひかり」が「誤配のまま」なのだと詠じている。
作者は北海道の人で、大学は関西、その後フランスへ留学し、現在もフランスに住んでいるのだという。そうだとすると、もしかしたら掲句は「鳥」に自分を重ねているのかもしれません。
ところで、今週はいよいよおうし座に入った太陽が天王星へと重なっていきます。これは昨年5月頃から断続的に続いてきた、おそらく人生に一度しか訪れることはないだろう「自己刷新」へのアクセルが全開になっていく稀有なタイミング。
天王星というのは、その本質をこちらが主体的に受け取っていくことができたとき、少なからず「正しさの呪いから解放」をもたらしてくれるものですが、それはちょうど掲句の鳥の姿そのものであるように思います。
確かに渡り鳥としては、春がくれば北へ帰るのが「正しい」。
ですが、どこの世界にも「正しさ」そのものを相対化してしまうトリックスターが存在するように、確からしい解答へと着実にたどり着いていく以上に、大胆に「まちがう」ことでこそ見えてくる問題の本質というものがあり、仮設された「正しさ」とは、本来問いそのものを深めるための踏み台にすぎないのです。
その意味で、今週のあなたはどれだけ大胆に、思い切り「まちがう」ことができるかが問われていくことでしょう。
運命愛ということ
「誤配」という言葉についての専門的な考察や厳密な定義はここでは脇においておくとして、ここで問題にしたいのはむしろ「誤配(つなぎかえ)」というのが、いかなる偶然性のもとに訪れているのかということ。
例えば九鬼周造は、単なる偶然とは区別して「離接的偶然」ということを言いだしましたが、これはもともと日本語にあった「たまたま」や「ふと」、「はずみ」、「なつかしさ」などをそれらしく言い換えたもの。
ここには、ある種の日本人の運命感覚のようなものが立ち現れているように思われます。
無根拠で、必然的でもない自分が、現にいまこうして生きていることもまた、ものの「はずみ」であり、「たまたま」そうであっただけだけれど、そういう偶然を愛そう。
そして、これからも「ふと」思い立ったことや、理由もなく「なつかしく」感じたことがあれば、それに身を任そう。それが例え「まちがい」だとしても。
今週は、どこかでそんな運命愛のようなものが不思議と湧いてくるかもしれません。
今週のキーワード
離接的偶然