おうし座
「自分」をめぐる風通し
おうし座天王星期へ向けて
今週のおうし座は、自分という荷を担いで運んでくれる「風」の一吹き。あるいは、新しい自分らしさを下支えしてくれる何かを強く感じていくような星回り。
かつて埴谷雄高は「自同律の不快」という言葉で、自分が自分であることが息苦しさを語りましたが、そうした苦しみの元ともなり得る「自分」を大胆に書き換えていくチャンスを迎えつつあるのが、今のおうし座なのだと言えます。
というのも、昨年5月から断続的に「革新と解放」を司る天王星という星がおうし座へ出入りし、いよいよ来週3月6日(水)から本格的に約7年間のおうし座天王星時代を迎えていくため。
天王星は何よりも旧態依然とした体制や思い込みを弾き飛ばし、自主独立を基調とした新しい在り方を迫る星。
もしまだあなたが「本当の自分」だとか「唯一無二の私」といった、近代的な自我の意理想を一身に受け、自己同一性を強固に有するガチガチの鉛の玉のような「自分」におのれを重ねているのなら、そんなものはさっさと手放してしましょう。
ひとつの実体であるところの自分とは、もっと風やゆらめき、流れや息吹のような、ある種の不安定さの中にあっても、失われることなく保たれうる、しなやかで流動的なものではなかったでしょうか。
ひなが巣立ちを迎える前に、羽を試しにばたつかせてみるかのごとく、今週は「自分」をめぐる新しい在り方について、思いを巡らせてみるといいでしょう。
散歩でもするかのように
18世紀にルソーが「自然に帰れ」という言葉を流行らせて以降、自然保護を強調する文化の下地がヨーロッパを中心に作られていきました。
一方で面白いのは、ルソーによる「自然の発見」以前には、山や森などの自然は畏怖されるべきものではあっても、レジャーやスポーツのフィールドとして見なされるような対象では決してなかったという点です。
つまり、彼こそは自然を自己解放の場へと変質させた立役者である訳ですが、ここで彼の晩年の著作である『孤独な散歩者の夢想』から引用してみましょう。
「たそがれが近づくと、島の峰をくだって、湖水のほとりに行き、砂浜の人目につかない場所に坐る。そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、僕の魂から他の一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。そして、そのまま、夜の来たのも知らずにいることがよくある。この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳をたゆまず打っては、僕のうちにあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、わざわざ考えなくてもいい。」
今週は、彼のようにこの世界を散歩していくなかで「風」を感じ、あるいは「風」とひとつになっていきたいところです。
今週のキーワード
風や流れとしての「自分」