おうし座
倣うべき形式と切実な擬態
リアリティーを拡張する
今週のおうし座は「虚子とその仲間のやうに梅探る」(西村麒麟)という句のごとし。あるいは、ままならぬ現実をコスプレ感覚で乗り切ろうとするような星回り。
高浜虚子といえば明治・大正・昭和にかけて活躍した俳人で、文芸誌「ホトトギス」を基盤に俳句界の最大派閥を主宰し、女性俳人の開拓にとどまらず、全国各地に拠点をつくるべく頻繁に旅行へ出かけたことで知られています。
作者は、そんなかつての時代の大先輩とそのお仲間たちの姿を思い浮かべ、さながら「ポケモンGO」のように自分のリアリティーをヴァーチャルな俳句フィールドに接続させていこうとしている。
ふざけているような、真剣なような、どちらとも言えない絶妙な境界線の上を歩こうとしているのだとも言えます。
けれど、ありのままの現実がそのまま受け入れて記憶に変換していくには余りに過酷であったり、無味乾燥なものであるならば、そうした‟virtual”な、すなわちもう1つ実質的なリアリティーを透かしこんでいくことは、そのまま生き延びるためのテクニックでもある訳です。
今週はそうしたある種の「ごっこ遊び」的な擬態を通じた試みの中で、リアリティーに自分なりの生きやすさを加えていくことができるかもしれません。
数寄(すき)
昔からご隠居さんの心得といえば、「閑居(のんびり暮らす)」と「道心(悟りを求める志)」と「数寄心(風流・風雅に心を寄せる)」の3つと言われたもの。今週のおうし座にとって最後の「数寄心」ということは特に大切になってくるように思います。
それは例えば、「ひとり調べ、ひとり詠じて、みずから情を養うばかり」(鴨長明『方丈記』)といったスタイルの中で、この世界との力の抜けた関わり方を取り戻していこう、というもの。逆にその正反対が、以下のような状態です。
「世にしたがへば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交われば、言葉よその聞きにしたがひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりに起こりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。」(吉田兼好『徒然草』)
「よその聞き」は他人がどう思うか、「分別」というのは、ああだろうか、こうだろうか、という思い悩みで、「得失」とは損得勘定のこと。忙しさに酔っているだけで、我を忘れてしまっているのだ、という最後の箇所は痛烈ですね。
今週は感性を洗練させて、のんびりしつつ自分を磨いていくことを第一に考えましょう。
今週のキーワード
内なる豊かさを着実に育てること