さそり座
ゆらめくように生きていく
水の上の芭蕉
今週のさそり座は、『芭蕉庵桃青は留守水の秋』(秋篠光広)という句のごとし。あるいは、永遠の旅人が目前をスーッと通り過ぎていくような星回り。
前書きに「江東 深川」とあるので、掲句の「芭蕉庵」とは人びとの活気で賑わう日本橋から人外の地である深川へと移り住んだ際の庵のことを指しているのだと分かります。
さらに「桃青」は深川で庵を結んだ際に「芭蕉」と名を改める前に慣れ親しんでいた俳号であり、ここで作者があえて「芭蕉庵桃青」と表現しているのは、30代後半にして世俗の名誉や利益と縁を切って、俳人としての新たな境地を目指したことへの深い敬意が込められているのでしょう。
そうして俳聖とまで呼ばれた松尾芭蕉を、作者は「留守」であると捉えてみせましたが、この点こそが作品の肝になっているのだと言えます。つまり、単に不在であるというだけではなく、芭蕉が永遠の旅に身を置き続けており、それは昔も今も変わらない。それだけ芭蕉という存在を作者は巨大なものと感じている訳です。
当時の旅には舟が欠かせませんでしたが、水という水が澄み渡る爽涼たる秋の訪れとともに、不滅の存在として水の上にあり続ける芭蕉の姿がひと際くっきりと浮かびあがって見えたのかも知れません。
9月3日にさそり座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どこか遠く感じていたものとごく身近なところにあるものとがふとした拍子に通じて合っていきそうです。
か身交ふ
例えば、人間の精神活動の本質にある「考える」という動詞はもともと「か身交ふ(かむかふ)」という言葉から来ているのですが、最初の「か」には意味はなくて、つまり「身」をもって何かと「交わり」、境界線をあいまいにしていくことで、そこに新たな思考を生みだし、精神の糧を見出してきたのです。
車の行きかう音や鳥の声、葉のそよぎに、月から漏れる柔らかな音楽。そういうものを見たり聞いたりしながら歩いているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出され、いつの間にかこれまでとはまったく異なる人生を歩んでいた。そんなことだってあるでしょう。
そういう意味では、人間だって媒介としての身体と、風のようにゆらめく私を生きているのです。つむじを巻いてはどこかへ吹き抜けていくとき、その風は身体を通して交わった者の思考をいつの間にか別次元へと連れ去っていく。
今週のさそり座は、そうしていろいろなものと交わっていくことのできる可能性について思いを馳せてみるのもいいかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
連れ去り、連れ去られ