さそり座
反対方向に舵を切れ
異なる2つの世界を媒介する
今週のさそり座は、『とうふなめにばけるかつぱや五月闇』(小川芋銭)という句のごとし。あるいは、まったく思いがけないところで起きている変化に想像力を働かせていこうとするような星回り。
「五月闇」は梅雨どきの鬱蒼とした暗さのことで、また月のない夜の暗さの意でもあります。そして、「とうふなめ」とは豆腐小僧のことでしょう。
豆腐小僧は今日では完全に忘れ去られた妖怪ですが、何の芸ももたず、何もできないかわいいだけの不思議な小僧系の化け物として明治時代まで人気が続いたのだと言います(『大江戸化物図譜』)。竹製の笠をかぶり、豆腐をのせた丸盆を手にした子ども姿であらわれ、雨の降る夜などに人の後をつけて歩いたりするものの、気が弱くてほとんど悪さをすることもなく、相手にもされない人畜無害で滑稽なキャラクターとして知られていました。
一方、「かっぱ(河童)」は水中で人の尻子玉を抜いて殺してしまったりする凶悪で残忍な存在として昔から知られていましたが、そんな河童が豆腐小僧に「ばける」とは、人間世界から完全に排除されてしまうような未知の霊力として暴れる野蛮な存在から、聖と俗、文明と未開といった相反する2つの異なる世界を媒介する存在への移行を表しているのかも知れません。
そうした相反する項を仲介する存在は、ヒルコに起源をもつエビスや一つ目小僧のように、往々にして身体的な欠損や奇形、ないし普通の大人としての機能を十分に備えていない等といった形で、不具性としての聖性の宿していた訳です。
闇夜に乗じて、人間が人でなしに変身したり、人でなしが人間に化けたりするという話は珍しくありませんが、人でなしが人でなしに人知れず入れ替わっているなどという意表をついた話は、あまり聞いたことがありません。
その意味で、7月6日にさそり座から数えて「エッジ」を意味する9番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ既知の世界と未知の世界のはざまの領域に足をのばしてみるべし。
「どうせ」から「いっそ」への転換
室町時代の庶民の小歌などをあつめた『閑吟集』という歌集に、「何せうぞくしんで/一期(いちご)は夢よ/ただ狂へ(何をしようというのだ、そんなにまじめくさって、一生は夢、ただ遊び狂えばいいのだ)」という有名な歌があります。
この歌の根底にあるのは、「一期は夢」、つまり一生は「どうせ」はかない夢に過ぎない、という思いですが、それが「ただ狂へ」という行動方針へとつながっていくのです。そしてここで注目したいのは、その間には書かれていない「いっそ」という認識による転換が潜んでいるということ。
「いっそ」とは、「より一層」の変化した語か、あれこれと思案した結果、それらを廃棄して、まったく逆の方向に思い切って舵を切る、というニュアンスが込められていますが、例えばそれは「どうせダメになる、ならばいっそ壊してやれ」といったように、先取りされた否定的結論を、現在の時点でよりいっそう加速させ、あばき立ててやるといった、大胆で興味ぶかい批評精神の現われでもあるのではないでしょうか。
今週のさそり座もまた、そうした思い切った転換を自分に仕掛けていくことがテーマとなっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
人でなしが人でなしに人知れず入れ替わる