さそり座
逃げ込み寺のDIY
夢想で終わらせないために
今週のさそり座は、『T.A.Z(一時的自律ゾーン)』の試みのごとし。あるいは、周期的に訪れたり、繰り返すものとしての「自律」を日常を組みこんでいこうとするような星回り。
90年代に覇権主義的なグローバリズムへの抵抗として書かれた本にハキム・ベイの『T.A.Z.―一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』があります。本のタイトルである「T.A.Z.」すなわち「一時的自律ゾーン」とは、「古い社会の殻の内部での新しい社会の核心を築く」ための一形態であり、たえず新しい世界状況に適合させるために「リライト」されねばならないものとして構想されました。
例えば、2001年の9.11は反グローバリズムの動きが強まる大きなきっかけとなりましたが、2003年に書かれた第2版のまえがきには、次のような一節があります。
「TAZ」は、地理的な嗅覚、触覚、味覚を備えた肉体的空間に存在せねばならない(サイズからすると、いわば、大都市に対するダブルベッドの大きさ)――さもなければ、「TAZ」は、もはやひとつの青写真か夢想でしかない。ユートピア的な夢は、(…)生きられた生、現実的存在、冒険そして愛の代わりにはならないものである。仮にあなたが、メディアというものを生活の中枢とするならば、あなたは、媒介された/メディア化された生を送ることになる―しかし「TAZ」は、メディアを介さない直接的なものであることを、さもなくば無であることを望むのである。
地方移住やパラレルワークなど、新たなライフスタイルが広まりつつある2024年現在の世において、「自律」ということはますます「あった方がまし」なものとして、相対的にその必要性が増してきていることは確かでしょう。
TAZは、空間よりも、時間への流動的な関連の中に存在する。それは、真に一時的なものであるが、恐らくはまた、休日、バカンス、夏休みのキャンプといった繰り返す自律のように、周期的に訪れるものでもあるだろう。それは、首尾よく成功したコミューン、あるいは放浪者の小領域のように、「恒久的」自律ゾーンである「PAZ(パーマネントなTAZ)」となれるかも知れない。
6月14日にさそり座から数えて「ビジョン」を意味する11番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの生存に関する一つの実験をどこまで試みていけるかが問われていくのではないでしょうか。
茨木のり子の「敵について」
私の敵はどこにいるの?//君の敵はそれです/君の敵はあれです/君の敵はまちがいなくこれです/ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです
ああその答のさわやかさ 明快さ//あなたはまだわからないのですか/あなたはまだ本当の生活者じゃない/あなたは見れども見えずの口ですよ
あるいはそうかもしれない敵は……//敵は昔のように鎧かぶとで一騎/おどり出てくるものじゃない
と、ずっと続いていって、さらに「なまけもの/なまけもの/なまけもの/君は生涯敵に会えない/君は生涯生きることがない//いいえ私は探しているの 私の敵を//敵は探すものじゃない/ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの//いいえ私は待っているの 私の敵を//敵は待つものじゃない/日々にぼくらを浸すもの」ときて、最後にやっと
いいえ邂逅の瞬間がある!/私の爪も歯も耳も手足も髪も逆だって/敵! と叫ぶことのできる/私の敵! と叫ぶことのできる/ひとつの出会いがきっと ある
とくる。ここでやっと二項対立的な図式を脱け出して、感覚的に別の生き物になっている。つまり、もはや敵か味方かという近代人的な捉え方はなくなっていて、ただ共に進化していく水平的な関係を意識的に受け入れている状態がある訳ですが、こうした関係性もまた「一時的な自律ゾーン」と言えるのではないでしょうか。
今週のさそり座もまた、茨木のように既存の意識のあり方(無意識的な自己防衛機構)を宙ずりにしていくことで、「弱肉強食」だとか「生存戦争」といった近代的な前提から降りていくべし。
さそり座の今週のキーワード
全然変わる気ないよね、みんな