さそり座
時代の軋む音
実感の変質
今週のさそり座は、『旗のごとくなびく冬日をふと見たり』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、時代を覆うある種の予感をひしと感じ取っていこうとするような星回り。
ぼんやりとした冬の太陽が、旗のごとくバタバタバタバタバタと空になびいているという、どこかシュールレアリスムの絵画を思わせる一句。
この句が詠まれたのは1938年、前年の夏には盧溝橋事件が起きており、これが日中戦争の始まりでもありました。おそらく、この句もまた、これまでになかったような緊張感や切迫した空気感がみなぎり始めたのを表現しているのでしょう。
考えてみれば国旗にせよ、軍旗にせよ、戦争になると旗がよく登場します。万物を照らすはずの太陽が旗に見えたというのは、尋常ではありません。まさに大戦争の到来を予言するような不吉な太陽です。
もちろん、作者としてはそこまで確信犯的にこの句を詠んだ訳ではないのだと思います。むしろ作者は戦争の時代にあっても花鳥諷詠を貫こうとしていましたが、だからこそ逆に時代を覆う破滅の予感の強さ確かさが感じられるのだとも言えます。
12月5日にさそり座から数えて「中長期的な見通し」を意味する11番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、身近な日常を越えた遠くの方へとまなざしを向けてみるといいでしょう。
限界芸術
「ぎりぎり」という擬音語は、事態が行き着くところまでいきついた際の切迫感やぬきさしならない気配、臨界点へと近づいていく崩壊寸前の悲鳴、その際のつのる焦燥感や不安などを伝える言葉ですが、もともとはぎりぎりと錐揉みする音から来ているのだそうです。
固いものが互いにこすれ合い、じかにぶつかって軋み、やがて亀裂が入って、そこから幾つかに分かれ、次第に粉々になって砕けていく。そんなプロセスをなまなましく伝える「ぎりぎり」という語には、一方でその危うさによってひとを誘惑するという面もあります。
人間に置き換えても、人をもっとも強く誘惑し、注意を集めてしまうのも、臨界点のすぐそばにいる「ぎりぎり」の人なのです。例えば、イッセイミヤケやヨウジヤマモトやコムデギャルソンといった、服が服でなくなるギリギリのところで服をつくってきたデザイナーたちの前衛性もまた、どうしたら人間を「ぎりぎり」に置いていけるかという、演出上の試みの鮮やかさにあったはずです。
今週のさそり座もまた、そんな「ぎりぎり」感を身近なところから拾い上げていくことがテーマとなっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
危うさに誘惑されること