さそり座
謎を育む
宙吊りにされること
今週のさそり座は、死の疑似体験としての<新しさ>のごとし。あるいは、ありきたりの仕方ではない方法で自身を新しくしていこうとするような星回り。
ベンヤミンは1939年に書いた「セントラルパーク」という断章のなかで、既に唯一の例外をのぞいて、現代社会には本当に新しいものは何も残されていないのだと書いていました。
いまの人間にとって、根本的に新しいものはひとつしかない。それはつねに同じ新しいもの、つまり死である。
そう、<新しさ>というのは取り換えや買い替えのきくものを通して、ほんの一時だけ経験できるものであり、それは過去との縁を断ち切り、自分をちゃらにするという意味で、死の疑似体験とも言えるのかも知れません。
死というのは、人間の意志と理解を超えた向こうからやってくる出来事ですから、人間にとって死は絶対的に不可解なものであり、恐れと同時にどこかで気になって仕方のないものでもあります。だとすると、死の疑似体験としての<新しさ>とは、すなわちこの不可解を思い出すことであり、自身の根源的な無知に立ち戻るということでもあるはず。
23日にさそり座から数えて「刷新」を意味する3番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、<新しさ>を突き詰めた先で人が必ず行き着くであろう大いなる謎の前で立ち尽くし、そこで自分の存在が根底から一新されていくのを感じていきたいところです。
面の下で
例えば、ほとんどが死んだ人の話を扱い、冥界から訪れてくる者を演じる能のお面というのは、人間のなかの影の部分というか、「闇の分け前」みたいなものを表に出すためのある種の装置であって、考えれば考えるほど、演劇というものは大体そういうものなのではないかという気がしてきます。
つまり、「死」やそれを超えた「運命」といった得体の知れないものを可視化していく上で、人間の正の部分を出していくだけではどうしても足りなくなってくる訳です。この世界をひっくり返してやろうとか、あいつだけは許せないとか、そう思いながら闇の中でうごめいていく主体の芽生えみたいなものが、お面を通して打ち出されていくのでなければ運命が運命として成立していかない。
人の心の負の部分というのは、お面の下の陰のなかでこそ育ち、打ち出されていくもの。その意味で、今週のさそり座もまた、自分の中にまだ残っている闇や、自分がなぜだか共感してしまう人間精神の負の側面にこそ焦点を置いてみてはいかがでしょうか。
さそり座の今週のキーワード
生の不可解の表出としての「運命」