さそり座
うつし世が夢ならば
我思わずとも我あり?
今週のさそり座は、アイソレーション・タンクの中に籠もるがごとし。あるいは、現実の輪郭が次第にあやふやになっていくような星回り。
ジョン・C・リリーの感覚遮断の研究のために開発し、80年代に商品化されたアイソレーション・タンクは、光や音が遮られた空間で、一定の温度に保たれた高濃度のエプソムソルトの塩水に浮かぶことで、皮膚感覚や重力の感覚を大きく制限することができます。
リリーがこのタンクを開発した1950~60年代当時、神経生理学の一般的な学説では、脳が覚醒しているのは外的な刺激があるためであると考えられ、もし脳への刺激が無くなったら脳は寝てしまうと主張されていました。リリーはこれに対し、外的な刺激がなくても覚醒し続けるという仮説を持って、それを実証しようと研究していたのです。
では実際に体験した人は何と言っているのか。例えば、かつてジャーナリストの立花隆は、みずからタンクに入った結果、肉体が消失して意識の点になったかのような体験をしたと述べています。自分以外の存在がすべて消えてしまい、残された自分は無限の広がりを持つ虚無の海を漂っているかのような、完全孤独の世界だったという。
これはある種の夢を見ているのに近い状態だと思いますが、タンクのような一定の条件で外的な刺激を遮断していくと、私たちはどこまでが現実でどこからが夢なのか、きっちりと自覚できなくなっていくのではないでしょうか。
その意味で、12月8日にさそり座から数えて「小さな死」を意味する8番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで強固に保持していた夢と現実の線引きがどこか曖昧になって溶け出していくのを感じることができるかも知れません。
捨聖(すてひじり)の極意
強固な現実が消えていくということで思い出されてくるのは、鎌倉時代の一遍上人です。一遍は、この世の人情を捨て、縁を捨て、家を捨て、郷里を捨て、名誉財産を捨て、己を捨てという具合に、一切の執着を捨てて、全国を乞食同然の格好で行脚していきました。その心の内にあったは、彼が「わが先達」として敬愛していた空也上人の教えであり、それは次のようなものでした。
念仏の行者は智恵をも愚痴をもすて、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ。(『一遍上人語録』)
こうして捨てることのレベルを上げて畳みかけていった先で、一遍は「捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨てぬならひ有りとは」という歌を詠みました。いわく、捨てきれるだろうかというためらいさえも捨ててしまえばいい。あらゆるものを捨てた気になって初めて、捨てきれないものがあることに気付くのである、と。
今週のさそり座もまた、そんな一遍の後ろ姿を頭の隅に置きつつ、すべてが曖昧になっても残ってしまうものがあるとすればそれは何だろうかと考えてみるといいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨てぬならひ有りとは