さそり座
スイッチ・オン
時間の大波
今週のさそり座は、森の中のダニのごとし。あるいは、「生きた時間」を過ごすための条件を揃えていこうとするような星回り。
11月も後半に入ってくると、まるで坂道を転がるように時が過ぎ去っていき、毎年気付いた頃にはもう年末年始の特別な気配が漂っているような気がします。つまり、私たちはそのあいだ、生きた心地や実感を味わう心的機構がオフになって、流れ作業的に仕事や行事を片づけるルンバのような“オートモード”に入っている訳です。
そのことがいいか悪いかは置いておいて、なんとなく思い出されてくるのが、森の中のダニが吸血できる哺乳動物が現れるまで20年近くも絶食したまま待ち続けるという話。
そこではダニはただ自分が知覚できる適切な温度、匂い、触感の3セットがそろった時にオンになって吸血行動を作動させるだけであり、それが5分後だろうと18年後だろうと、ダニにとって特段差はありません。
つまり、知覚の3セットがそろった時こそがダニにとって生きた時間であり、その外側にその長さだとかコスパだとかを測定する基準があるのではないということ。これは先のような私たち人間の“オートモード”とは対照的な時間体験と言えるでしょう。
24日にさそり座から数えて「内在化したもの」を意味する2番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、青白い顔をした金太郎飴のように間延びした時間をギュッと縮めてくれるような条件を、あらためて満たしていくべし。
自分なりの実感を求めて
光充つ真昼の海に突き出た大王崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。(「妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏」『古代研究』)
これが遅れてきた古代人・折口信夫が「神」の祖型としての「マレビト」の思想を着想した瞬間とされています。このとき彼の目の前にはまぶしい陽光が反射する、穏やかな伊勢の海が広がっており、その光景の中から「海の彼方より寄り来る神」という考えが不意に湧き上がってきたのです。
それはおそらくかつて海を渡って日本列島にやってきた日本人の祖先たちが抱いていたのと同じものだったのではないでしょうか。
折口の学問の根底には、そうした本で読んだだけの机上の空論では終わらない、自分なりの仕方でつかみとった実感というものが息づいていました。いわば折口もまた、森の中のダニのように、実際に海の彼方をじっと見つめながら、そこに自身の魂の原郷を嗅ぎ取らんとした訳です。
その意味で今週のさそり座は、今こそみずからの足や手や鼻や耳を通して、求めていた深い実感を手繰り寄せていけるかが問われていくことでしょう。
さそり座の今週のキーワード
寄り来る神との邂逅