さそり座
大事にしたい顔を求めて
猥褻さより神々しさを
今週のさそり座は、『ラブドールは胎児の夢を見るか?』という巨大なポートレイト作品のごとし。あるいは、人間の抱く欲望の闇に身震いしていくような星回り。
アーティストの菅実花が東京藝大の卒業作品展で発表した同作品は、ラブドールという人工物に妊娠という生きものとしての生々しさを融合した点で衝撃的で、これまで男性目線で理想化されてきたテクノロジーの未来をめぐって大きな動揺をもたらしました。
彼女はラブドールの妊婦たちが単に男性の欲情に消費されてしまわぬように、作品を2メートルを超える巨大なスケールで仕上げており、実在の人間よりはるかに大きく見せることで、猥褻さよりも神々しさを強調しました。
そもそも、同級生の口からオリエント工業製のとあるラブドールに自分が似ていることを知らされたことをきっかけに作品製作をはじめた彼女にとって、作品を通して人工的な女性と自分とを重ね合わせていく過程そのものが、ある種の生まれ変わり経験であり、それ自体が美しくも野性的な母性の所産だったのだとも言えます。
その意味で、人間の欲望がつくりだしたはずのラブドールやセクサロイドたちは、人間の母性と交わることで、今後も多くの“鬼っ子”たちを生み出していくはず。
11月8日にさそり座から数えて「デモンストレーション」を意味する7番目のおうし座で皆既月食を迎えていく今週のあなたもまた、力強く自信にあふれた存在への生まれ変わりに自然と惹きつけられ、何らかの関わりをもっていくことでしょう。
リルケの顔の話
現代人は表情が貧しくなったという記述をどこかで読んだことがありますが、「顔」については昔から様々なことが言われてきました。その中でも、詩人のリルケが遺した唯一の長編小説で、パリで孤独な生活を送りながら街や人々、芸術、思い出などについて断片的な随想を書き連ねていく『マルテの手記』には、実に恐ろしい記述が登場します。
いわく、何億もの人間が生きているが、もっと多くの顔がある。それはみんな幾つもの顔を持っているためだ。もちろん、永いあいだ1つの顔を持ち続けている人もいるが、やがて使い古されていく。彼らだって余分な顔を本当は持っているはずだが、子どもに与えていたり、道端で犬に持っていかれたりしているかも知れない。リルケは顔とはそういうものだと言い切るのです。
そして、中には不気味なほど早く、顔をつけかえたり、外したりする人もいる。自分ではいつまでも顔のストックがあると思っているが、40歳になるかならぬかで最後のひとつになってしまう人もいる。これは悲劇である。そういう人は、顔を大事にすることを知らなかったから、ボロボロになったのだ。と。
この話に照らしてみると、先のポートレイト作品というのは、ひょんなことから「顔の使用」に思いとどまった人が、失ったまだ見ぬ素顔を必死に取り戻そうとしている試みのようにも見えてきます。
その意味で、今週のさそり座もまた、自分が出会う最も奇妙なもの、奇異なものに対処する勇気をふるっていくことになりそうです。
さそり座の今週のキーワード
この世でいちばん怖いものは顔であり、いちばん美しいものも顔である