さそり座
流れよ涙と秋は言った
失態を犯す喜び
今週のさそり座は、『酒飲んで椅子からころげ落ちて秋』(小澤實)という句のごとし。あるいは、勝つことよりも勝ちのある負けに臨んでいこうとするような星回り。
酒飲みというのは、飲むときは飲むことに専心していることがほとんどなので、案外酒の句が少ないのだそうですが、作者の場合はその例外でしょう。
それにしたって、飲んで「椅子から転げ落ちる」というのは、かなりの酔いっぷりです。それを振り返って「秋だなあ」と詠嘆できるというのは、よほど気に入った新酒に出会ったか、思いがけず気持ちが入った夜だったのか。
逆に言えば、そうしたことに比べれば、確かに一般社会では「椅子から転げ落ちる」ことは失態とされているけれど、それを犯すこともやぶさかではない。というより、作者は喜んでそうするのではないでしょうか。
とはいえ、だからといってみずから「椅子からころげ落ち」るわけにもいきませんから、酒を飲んでそれだけの失態を犯し、それで秋を詠むことができるというのは、それ自体がひとつの僥倖であり、得がたい偶然の到来に他ならないのでしょう。
18日にさそり座から数えて「破れ」を意味する9番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いまの自分に喜んで失態を犯していけるだけの文脈や相手がどれだけあるか、改めて振り返ってみるといいでしょう。
玉ねぎ地下酒場
ギュンター・グラスの長編小説『ブリキの太鼓』では、戦中から敗戦後にかけてのドイツ社会解体の混乱が、緻密かつぶざまに、ときにグロテスクなユーモアをまじえて描写されているのですが、その中にライン河畔の市にある「玉ねぎ地下酒場」の場面があります。
酒場ならばビールやワインが飲めるばかりでなく、ちょっとした料理が食べられるものですが、ここではそういうものは一切出ません。客のまえには、まな板と包丁が並べられ、そこに生の玉ねぎが配られるのみ。つまり、このまな板の上で各自めいめいが玉ねぎの皮をむき、好きなように切り刻んで、それをご馳走にしろという、なんとも人を食ったシステムなのです。
ただ、こうしたバカバカしいことをするために、わざわざ料金を払ってやってくる客がいるのも事実。それは一体どういうことかと言うと、玉ねぎを切れば客の目には涙が流れる訳ですが、それがミソになっていると。
その汁がなにを果たしてくれたのか?それは、この世界と世界の悲しみが果たさなかったことを果たした。すなわち、人間のつぶらな涙を誘い出したのだ。
今週のさそり座もまた、こうした「誘い出してくれるもの」の力を借りて、自分ひとりだけでは難しいことに取り組んでいきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
ひとりでは失態は犯せない