さそり座
ぼくらはみな緊張しすぎている
不安と恐れの解除へ向けて
今週のさそり座は、脱力トレーニングのごとし。あるいは、やらわかい雨が地面を濡らすように、死をそこはかとなく自分自身に浸透させていくような星回り。
例えばマッサージ店やリハビリの現場などに目を向ければ、一度力が入ってしまった体の緊張を元に戻すということがいかに難しいことであるかを伺い知ることができますが、なぜ私たちはそんなにも脱力に抗おうとしてしまうのでしょうか。
これは逆に、ものすごく緊張が抜けてしまっている人がどうなってしまうのかを考えてみると分かりやすい話で、腕の重さだけで肩を脱臼してしまうといった軽度な事態から、寝入ったまま二度と起き上がる力を失ってしまう、細胞の張りが綻びて中身がバラバラになっていくといった決定的な事態がある訳で、脱力への抵抗にはこうした二度と元の生へ戻ってこれないことへの恐れが多分に含まれているのかも知れません。
ただし、これも経験的に誰もが知っていることではありますが、それが適度な弛緩やリラックスであれば、私たちは完全に死へと行き切ってしまう代わりに、単に元の生へと戻ってくるだけでなく、以前よりずっと生き生きとした状態へと「回復」していくことができる。その意味で、身体的な緊張癖から認知上の緊張まで、みずからの日常生活にどんな緊張が伏在しているかを再発見していくことは、生きる力そのもののリハビリ(再び適応させること)でもある訳です。
9月26日にさそり座から数えて「潜在的な恐れ」を意味する12番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、過剰に働かせてしまっている防衛機構としての緊張を改めて見出していくことがテーマとなっていきそうです。
ルソーの『学問芸術論』
それまでほとんど無名だったのルソーは、38歳の時に「学問と芸術は習俗の純化に貢献したか否か」という題目に対する懸賞論文において、啓蒙主義全盛の社会情勢下にも関わらず、大胆にも学問や芸術こそ人々を退廃させたのだと否定的な論陣を張ることで、一躍有名になりました。
彼はそこで学問の進歩こそが傲慢な精神や贅沢の蔓延をもたらし、18世紀半ば当時の学問芸術を単なる貴族の自己満足でしかないと、厳しく糾弾したのです。とはいえ、彼はそこですべての学問を否定した訳ではなく、知識の教育ではなく徳の教育こそが必要であり、そのためにはなくても困らない玩具のような「貴族の学問」をいったん捨てて初めて、「誠実や歓待」などの本当に必要な徳の大切さが身に沁みてくるのであり、それを促す限りにおいて学問や芸術は意味を持つと考えました。
確かに、学問を身につけたり、何かしら‟専門家”然としてくると、自然や世界の在り様への畏敬の念を失っていくというケースは現代でも珍しくありません。むしろ、「自然に還り良心の声を聴くべきである」というルソーの主張は、現代においてその重要性が増しているようにも思えますし、これもある種の「脱力」の実践なのだとも言えます。
今週のさそり座もまた、自分の無意識的な‟偏り”をただしたり、より自分本来の自然に近い状態へと戻っていこうとする作用が働いていきやすいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
「自立した個人であるべき」という防衛機構