さそり座
競争から降りるための闘い
抗議していく私たち
今週のさそり座は、『台風圏汽車のくろがねひた飛沫』(中島斌雄)という句のごとし。あるいは、どこへ向かって何と闘っていくべきか、明らかにしていかんとする星回り。
作者は明治生まれの国文学者でもあり、俳句では好んで列車を題材にしていた人。ここでは烈しい雨をともなった台風のなかを突進していく汽車が、雨の矢をはね返して文字通り飛沫いているさまを活写されています。
その際、単に「汽車飛沫く」とするのではなく、「汽車のくろがねひた飛沫」ということによって、速度感や緊迫感が増すだけでなく、飛沫きの「白」が色彩的にもより効果的に際立ってくることが分かるはず。
おそらく、こうした「汽車」には、人間の世界をよりよいものにするよう、皆で協力していかんとする集合的な精神が重ねられていたのでしょう。作者は次のように書いています。
新しい俳句を求めるものは、この俳句の世界の因習にたたかいをいどまなければならない。このことすら成し遂げることのできないやうでは、俳句の新化といふことは不可能であると思はなければならないだらう。(中略)人間を抑圧し歪曲するものに抗議し、これと闘ふことである。
同様に、27日にさそり座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、時代精神と感応しあっていくことこそがテーマとなっていきそうです。
茨木のり子の『敵について』
私の敵はどこにいるの?//君の敵はそれです/君の敵はあれです/君の敵はまちがいなくこれです/ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです
ああその答のさわやかさ 明快さ//あなたはまだわからないのですか/あなたはまだ本当の生活者じゃない/あなたは見れども見えずの口ですよ
あるいはそうかもしれない敵は……//敵は昔のように鎧かぶとで一騎/おどり出てくるものじゃない
と、ずっと続いていって、さらに
なまけもの/なまけもの/なまけもの/君は生涯敵に会えない/君は生涯生きることがない//いいえ私は探しているの 私の敵を//敵は探すものじゃない/ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの//いいえ私は待っているの 私の敵を//敵は待つものじゃない/日々にぼくらを浸すもの
ときて、最後にやっと
いいえ邂逅の瞬間がある!/私の爪も歯も耳も手足も髪も逆だって/敵! と叫ぶことのできる/私の敵! と叫ぶことのできる/ひとつの出会いがきっと ある
とくる。ここでやっと二項対立的な図式を脱け出して、感覚的に別の生き物になっている。つまり、もはや敵か味方かという近代人的な捉え方はなくなっていて、ただ共に進化していく水平的な関係を意識的に受け入れている状態がある訳です。
今週のさそり座もまた、この詩のように「レッド・オーシャンで闘い続けなければならない」という近代的な前提から、いかに降りていけるかどうかが問われていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
近代的枠組みを終わらせていくこと