さそり座
鋭く深く繰り返し…
人間的資質の土台
今週のさそり座は、『水着脱ぐにも音楽の要る若者達』(横山白虹)という句のごとし。あるいは、「人生のメロディー」を思わず口ずさんでしまうような星回り。
正直に言えば、リズム感は最悪である。しかし、妙に頭に残ってしまう一句となっているのが不思議なところ。
「水着脱ぐ」という動作について特別意識することも、日常どころか人生において初めてだという人も少なくないだろう。それほど無意識的な動作でさえ、「音楽が要る」のが「若者達」なのだと作者はいう。
いささかおっさんの説教臭さを感じてしまうが、しかし若者が心身に血肉化できるような、人生の根本情調としての「調べ」を「必要とする」という指摘は正しい。受験を頑張るときも、恋をするときも、ただダラダラするときも、そして水着を脱ぐときさえも、いつも音楽が流れているのであり、そこで流す音楽の趣味がその後の人生や、おっさんおばさんになったときのその人の人間的資質の土台となっていくのだと言っても過言ではあるまい。
そういう意味では、もし掲句の主体を作者のようなかつては若者であったはずのおっさんに置き換えるならば、「ひとりでに歌の流れる便所かな」といったところだろうか。
同様に、8月12日にさそり座から数えて「根本情調」を意味する4番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、改めて自身の身体や生活に流れている音楽に耳を澄ませてみるといいだろう。
ボルヘスとマッケンの系譜
20世紀を代表する大作家ボルヘスが編んだ世界文学アンソロジー集『バベルの図書館』の、イギリスの小説家アーサー・マッケンについて書かれた文章に次のような箇所がある。
歴史の長い、汲めども尽きぬイギリス文学において、アーサー・マッケンはひとりのマイナー詩人である。急いで指摘しておくと、「マイナー」「詩人」なる二語をたてまつったからといって、けっして彼を軽視しようとするものではない。私は今彼を詩人と呼んだが、そのわけは、苦心の散文で書かれた彼の作品は、詩作品のみがもつあの緊張と孤独を湛えているからである。また、マイナーと呼んだわけは、マイナーな詩とは種々のジャンルの一つであって、決して下位のジャンルというものではないと考えるからである。それが表現している音域はあまり広くはないが、その口調はつねにより親密なものだ。
この記述に従えば、他ならぬボルヘス自身もまたマイナー詩人と言っていいだろう。先に大作家と書いたものの、彼がノーベル賞をもらえなかったのは、短編小説というマイナーなジャンルにしか手を染めなかったことも大きかったであろうし、また夢、分身、虎、ナイフ、迷宮などの、ごく限られたテーマを一生涯倦むことなく繰り返し取り上げ続けたその「表現している音域」もまたけっして広いとは言えないものだった。
しかし、もしさそり座にとって「音楽の趣味」ということがあるとすれば、どうしたって「マイナー」なものになるのではないだろうか。今週のさそり座もまた、鋭く狭く深く特定のテーマやメロディーを繰り返していくべし。
さそり座の今週のキーワード
ひとりでに歌の流れる便所かな