さそり座
成熟と発心
老成のとき
今週のさそり座は、ふと現れて私に話しかける私の影のごとし。あるいは、意識と無意識との距離感がグッと縮まっていくような星回り。
無頼派を代表する作家・坂口安吾の、短い教員時代を振り返った自伝的作品『風と光と二十の私と』という作品に、「私はそのころ太陽というものに生命を感じていた」という一文から始まる箇所があり、その中に次のような一節があります。
私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。
坂口よれば、人は誰しも少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があり、ここに引用した記述もそんな「一時的な老成」の実感と関係していたのではないでしょうか。さらに続けてこう書いています。
彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。
8月5日に自分自身の星座であるさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分を根本のところで突き動かしている衝動に改めて繋がっていくことになるかもしれません。
発心のきっかけ
平安時代に貴族であった大江定基は、三河守として任国に連れて行った女が病いにかかりついに帰らぬ人となった際、悲しみのあまり昼も夜もなく遺骸に寄り添っては生前のように声をかけ、唇を吸うことまでしたのですが、そのうち口から「あさましき香り」が漂うようになってようやく、泣く泣く埋葬するに至ったのだそうです。
定基はこれをきっかけに「なぜ他ならぬ自分がこれほどまでに苦しまなければならないのか?」という思いに憑かれて出家し、寂照と名を変えて天台教学と密教を学びます。そして、やがて宋に渡海して円通大師の号を賜り、そのまま帰国することなく現地で亡くなりました。
つまり、一介の中級貴族を「大師」(高徳な僧に贈られる尊称)にまで至らしめた原動力となったのは愛する人との死別であり、その残酷な運命を朽ちていく死体のなまなましい観取を通じて受け入れていった体験だった訳ですが、こうした「発心」ということも「ふと私に話かける私」を感じるということにどこかで通じていたのではないでしょうか。
その意味で今週のさそり座もまた、そうした「発心」に近い心理に駆られていきやすいはず。
さそり座の今週のキーワード
不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから