さそり座
光の躍動
作品は眼光によって作られる
今週のさそり座は、主人のテーブルを照らす飼い猫の眼の光のごとし。あるいは、支えるべきものにおのが力を目一杯あたえていこうとするような星回り。
ポルトガルのロカ岬の碑文に刻まれた「ここに地終わり、海始まる」という詩の一節で知られる詩人にカモンエシュという人物がいる。彼のある夜通しの一夜について語られた文学的資料によれば、テーブルに灯していた蠟燭が消えた時、この詩人は飼い猫の眼の光で詩を書き続けたのだという。
蝋燭に照らされ、霊感の火の中にあって、詩句から詩句へと、作品はそれ自身の生を得、魔法のように展開していき、それをテーブルの上のおのおののものが支えていく。蝋燭がいなくなっても、そこには猫がいた。猫はしっぽをぴたりと机につけて、神の上を走る主人の手を見ていた。そう!火にみちた眼で詩人の手から詩が生みだされていく様子をじっと見つめていた。
そして、詩人のテーブルという小宇宙においては、すべてが視線から構成されていた。したがって、その時どうしてすべてがその視線の、光の躍動を維持しないことがあろうか。ひとつのものが衰えれば、残りのものがより一層協力しあって埋め合わせをするのだ。
同様に、3月3日にさそり座から数えて「力の放出」を意味する5番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、以前から目をかけていた相手や営みにより一層力を注いでいくべし。
鬼気迫るものを感じること
北原白秋の「肇国(ちょうこく)聖地の歌」に次のようなフレーズが出てきます。
槵觸峯(くじふるたけ)や皇孫(すめすま)の/天降(あも)りましけむ址(あと)とめて/天つ磐境(あまついはさか)高々に/神籠(ひもろぎ)祀るこの斎庭(ゆには)
なにを言っているのかはよく分からない。けれど、ここに自国の神話とみずからの文学とを統合せんとする強烈な意志があることは、少なくとも伝わってくるはずです。もちろん、戦時下に国策として作られた歌への作詞ですから、何も感じないふりをして、これも無理やり作らされたのだという決まり句で片づけることもできるでしょう。ただ、声に出して読んでみればより明確に分かりますが、そういうことではないんです。
実際、意外にも窮屈な戦時下において思想研究や文学的探究は弱まるどころかむしろ強まり、丸山眞男にしろ三島由紀夫にしろ、戦後に花咲いていった思想家や文学者の出発点は戦時下においてこそ深められ、結晶化していきました。
鬼気迫る。アルファ波だとかリラックスするというだけではなくて、そういう強い緊張感こそがそれまで眠っていたものを、はげしく呼びさますことがあるのです。今週のさそり座もまた、たとえ文脈も理屈も成り立っていなくても、これはと思ったことに強い情熱をもって賭けていきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
意識より先に、電気が走る