さそり座
関係だらけ
モノを循環させるスピリット
今週のさそり座は、むずがるプナン族の子どものごとし。あるいは、改めて分け与える精神が強烈に注入されていくような星回り。
マレーシアのボルネオの熱帯雨林にて、かつては定住家屋を持たずに移動生活を送っていた幾つもの狩猟採集民がしだいに定住化し消滅していくなか、いまだに昔ながらの暮らしを守っているプナン族という森の民がいます。
彼らの特徴として真っ先に挙げられるのが、モノを他人に分け与えることと言われているのですが、それは純真な彼らが生まれながらに持っている美徳というより、後天的に部族全体で厳しく教育され、植え付けられていく彼らの信念に近いようです。
例えばある人類学者によれば、プナンの幼い女の子に何個か飴玉をあげたそうですが、はじめ彼女はそれらを独り占めしようとし、周囲の子どもが欲しそうにしても、飴玉を身に引き寄せて手放しませんでした。母親が注意し、促すとようやく女の子は飴玉を配り始めましたが、それはモノを独り占めし、個人の富を貯えるなら、その人の言葉はしだいに力を失い、周りから人々も去っていくという部族の教えに基づくものでした。
逆に、プナンでは与えられたモノをすぐさま他の人に分け与えることを最も頻繁に実践する人物が最も尊敬され、そういう人物はたいてい最も質素で、誰よりも見すぼらしいなりをしていて、ビッグマンと呼ばれるのだとか。
同様に、19日にさそり座から数えて「贈与」を意味する8番目の星座であるふたご座で満月を迎えていくところから始まった今週のあなたもまた、そうした幼児とビッグマンの狭間に立ちつつ、どちらに向けて自分が成長していきたいのか改めて実感を抱いていくはず。
吉野弘の「生命とは」
詩人が50代になってから書かれたこの詩は、どう頑張っても人間は1人では絶対に生きていけないのだという黒黒とした実感に満ちています。冒頭部分だけ引用してみましょう。
生命は
自分自身だけでは完結できなうように
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界というのは、ちっぽけでささやかなことから出発するのでなければ、その全景はかえって見えてこないけれど、この詩はそうした想像力の使い方のお手本のように思えます。
特に引用箇所の最後の3行には、厳しく慎ましやかな欠如への自覚と、実り豊かな享受の喜びとが見事に同居していて、生命における「欠如の原理」がいきいきとした流動体のようになって詩人に注ぎ込まれているようです。
その意味で、今週のさそり座もまた、理屈ではなく体感としてこの世はじつに“関係だらけ”なのだという真実に直面していくことができるかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
欠如を満たすということに意識と身体を向けていく