さそり座
そも世界とはどんなものであったか
「やさしい」とはいかなることか
今週のさそり座は、自然の本質としての利他行のごとし。あるいは、自然のとらえ方を人間中心主義からずらしていこうとするような星回り。
画家であり作家、そして障害者運動と動物の権利運動の担い手であるスナウラ・テイラーは、『荷を引く獣たち―動物の解放と障害者の解放』のなかで、種を超えたケアについて語っています。
いわく、これまで語る声を持たないとされてきた犬や鳥や牛たちは、じつはその振る舞いを通して多くのことを語っており、人間はむしろそうした声に意図的に注意を払わず、つまりケアすることをしないで、しばしば彼らを劣悪な環境において、搾取してきたのではないか、と。
こうしたテイラーの主張の根本にあるのは、自然は人間が思っているよりずっと相互扶助的なものであり、それにまだ人間側が十分に気付けていないだけなのではないか、ということです。
もちろん、自然の世界にも競争はあるでしょう。けれど、すべての生物は互いに物質やエネルギーを与えたり受け取ったりしながら、相互に依存して生きているのであり、かつてホッブスが人間の自然状態を「万人の万人に対する競争」と定義したほどに、弱肉強食は自然の本質ではないのではないでしょうか。
10月6日にさそり座から数えて「全体のバランスの調整」を意味する12番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、少しでもそうした固定観念から脱け出し、「やさしさ」の概念を書き換えていきたいところです。
童心で捉える
昭和を代表する批評家で思想家であった以前に、ひとりの詩人でもあった吉本隆明は、『詩とはなにか』という本の中で、次のように述べていました。
詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうのことを、かくという行為で口に出すことである
つまり、詩とは何かという問題の核心は何を言うかや、その様式や論理ではなく、詩情のはたらきそのものであり、虚像をとりのぞいた時に浮かび上がってくるものが大切なのだと彼は考えていたのです。
それは幻想としての国家の成立を描いた国家論である全共闘世代に多大なる影響を与えた『共同幻想論』が1981年に文庫化された際に書かれた序文でも強調されていました。
この本の中に、私個人のひそかな嗜好が含まれてないことはないだろう。子供のころ深夜にたまたまひとりだけ眼が覚めたおり、冬の木枯しの音にききいった恐怖。遠くの街へ遊びに出かけ、迷い込んで帰れなかったときの心細さ。手の平を眺めながら感じた運命の予感の暗さといったものが、対象を扱う手さばきのなかに潜んでいるかも知れない。
詩人が書いたものであれば、大人のための書であっても、その奥底につねに子供時代に感じていた世界との交わりの記憶が生きている、そう言いたかったのでしょう。
今週のさそり座もまた、自分の口や手を通じて「ほんとうのこと」を伝えるべく童心で捉えた世界の記憶をそっと引き出していきたいところです。
さそり座今週のキーワード
世界との直接的な交わりの記憶