さそり座
庵を結ぶ
こちらは8月9日週の占いです。8月16日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
戦時下の自粛
今週のさそり座は、昭和十五年夏の山頭火のごとし。あるいは、「ほろにがくなる酒」をいただいていくような星回り。
俗世間一切を振り捨ててあてどない旅を続けながら「どうしようもないわたしが歩いてゐる」「まつすぐな道でさみしい」といった、開き直りにも近い諦めとともに甘えや感傷をまっすぐに詠みあげた自由律俳人の種田山頭火は、すでに戦時下に入った昭和十四年(1939)に往生を遂げる庵に住みたいと、ひょいと四国の松山にわたり、そこで亡くなるまでの十か月間にわたり庵を結びます。
しかし彼はそこでも心静かに句作と禅の修行に励んだ訳ではなく(彼は禅寺で出家得度している)、泥酔しては道ばたで寝転び、禁酒を誓ったかと思えば再三にわたり猛省を重ね、といった懺悔と無軌道を行き来する日々でした。亡くなるほんの二カ月前の昭和十五年七月二十五日の日記には次のようにあります。
「けさもいつものやうに早起したけれど、胃腸のぐあいがよろしくない、飲みすぎのせいだ、のんべいの宿命だ!自粛々々。好きな昼顔を活けて自から慰める。けふも午後は道後へ、一浴一杯は幸福々々!炎天照る々々、照れ々々炎天、ほんにおいしいお酒でありました、そしてだんだんほろにがくなる酒でありました。」
さそり座から数えて「やりきれない平凡さ」を意味する10番目のしし座で8月8月夜に新月が形成されたところから始まる今週のあなたもまた、慎ましくも愚かに右往左往する自分を受け入れていくべし。
「一番うまい」を探る試み
山頭火の最後の日々は、見方を変えれば自分史上最高にうまい酒を作らんとしている杜氏のようでもあったのではないでしょうか。
目に見えない菌によってもたらされる発酵のプロセスを、もし科学的に捉えようとすれば、それは「一番うまい酒」も化学式で書けるに違いないとか、何らかのロジックで導き出せるはずという発想になってくる訳ですが、実際にはそんなことはありません。
なぜなら、発酵と腐敗の違いというのは、あくまで人間が人間の視点で決めたものであり、摂取する人間にとって有益であれば発酵、有毒であれば腐敗であって、「一番うまい」という味の基準も、時代や社会によって変わっていく。だから酒造りを追求していくと、生命工学的な観点だけでなく、もっとやわらかい人文知的な観点も必要になってくる訳です。
つまり、自分を中心とした輪をなす人びとがおいしいと感じる味の着地点みたいなところに、色んな試行錯誤やフィードバックの末に落ち着いていくというプロセスがどうしても必要になってくる。
そしてこのあたりの文脈こそ、まさに今のさそり座の人たちの星回りに通底していく部分なのではないかと思います。そして案外、そうした味の着地点というのは、山頭火が書いたように「ほろにがくなる」味をしているような気がします。
さそり座の今週のキーワード
発酵と腐敗のはざま