さそり座
光と闇とその密度
理屈を拒む不思議な迫力
今週のさそり座は、「切れさうな月あらはれる草いきれ」(三城佳代子)という句のごとし。あるいは、だんだん凄味が増していくような星回り。
モチーフや比喩にも特に奇をてらったところがないにも関わらず、不思議な迫力のある句。
炎威なお衰えぬ夏の夕暮れの草原に、こつ然と白光をおびて切れそうなほど細い月が現われる。その明と暗、夜と昼とのさかいに身を置いて、思わず壊れそうなほど繊細な三日月にこころ奪われたのでしょう。
おそらく、自分でもとらえどころのない鬱屈した情念が、たまたま眼前の鮮烈な光景に触発されて一気にほとばしって出来上がった作品なのかもしれません。どこか理屈を拒むようなその迫力は、再読を重ねるにしたがって月が光を加え、大地が重く沈むように感じられるにつれ、増していくはず。
そして、そうした得体の知れない密度は、どこかさそり座の人たちの存在感にも通じるところがあるように思います。
8月8日にさそり座から数えて「この世での役割」を意味する10番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、平凡な説明や安易なストーリーに自身の身をあずけることなく、持ち前の得体の知れなさに踏みとどまっていきたいところ。
黙って、笑わず、真摯に向き合う者
作家の小川洋子さんが、かつて新聞のエッセイのなかで、ある校閲部署を見学したときの印象を「神聖」と表現していたことがありました。
たしかに、ヌードグラビアのキャプションなんかであっても、校閲室ではみなお坊さんのように黙って、笑わず、真摯にゲラを読んでいて、時おり電動鉛筆削りのじょわーっという音が響くばかり。
でも、書き手だけでなくこうして他人の書きものに粛々とツッコミを入れていく校閲者がいてくれるおかげで、売り物としての本のクォリティーは保たれ、ひいては文化が文化であり続けることができているのだと思うと、あながち先の印象は単なる印象をこえた、本質をついた鋭い直観であるように思われてきます。
そして、こうした意味での「神聖さ」こそが、先の句で目の前に現われた「切れさうな月」の景に宿っていたものであり、さそり座らしさでもあるのではないでしょうか。
今週は、できるだけ校閲室で仕事に向かう校閲者のごとく、おのれのやるべきことに向き合っていくべし。
さそり座の今週のキーワード
人がその心を打つのは、得体の知れない密度ゆえ