さそり座
理想像をめぐって
ルイ・ボナパルトの場合
今週のさそり座は、カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の一節のごとし。あるいは、過去に存在した誰かと同じ役割を果たしていこうとすること。
カール・マルクスは、1799年にナポレオン・ボナパルト(ナポレオン一世)が政府を倒した軍事クーデター「ブリュメール18日のクーデター」と、甥のルイ・ボナパルトが1851年に議会に対するクーデターを起こし、大統領権限を大幅に強化した新憲法を制定して独裁体制を樹立し、翌年には国民投票のうえで皇帝即位を宣言し「ナポレオン三世」と名乗るようになったことを対比しながら『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書き上げ、そこで「革命」のもつ謎について次のように説明しました。
人間は自分自身の歴史を作るが、自分が選んだ条件の下でそれを作るわけではない。彼(※ルイ・ボナパルトのこと)はそれを手近にある、所与の、過去から与えられた条件の下で作るのである。すべての死者たちの伝統は生者の頭上の悪夢のようにのしかかる。そして、ちょうど彼が自分自身と物事を改革し、それまで存在しなかったものを創造することに没頭している、まさしく革命的な危機の時代に、彼は不安げに過去の亡霊を呼び出しては、その名前や戦闘のスローガンをそこから借り受け、昔ながらの服装をまとい昔の言葉を使いながら、その新たな世界史の場面を演じているのである。
注意深く読めば、読者はここでマルクスが、伯父にならってナポレオン三世を名乗ったルイ・ボナパルトを単なるバカと冷笑的に論じている訳ではなく、ある種の愛情さえ込めて取り扱っていることに気づくのではないでしょうか。
20日にさそり座から数えて「理想や形式」を意味する10番目の星座であるしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が何を演じているのかということ改めて思い知っていくことになるかも知れません。
像を疑え
ウィトゲンシュタインという哲学者は、「女らしく」であればワンピースを着て、ゆるやかなウェーブのかかった髪型で、優しく微笑んでいる、といった「模像(モデル)」のようなある種の典型的イメージのことを「像(Bild/picture)」と言っていて。
これは私たちが何かを理解しようとするときの大きな助けになる反面、ときにその「像」にとらわれ、想像力の可能性が著しく縛り付けられ、「女」であれば本来そこにはさまざまな意味や豊かさがあるのに、それらが閉じられてしまうのだとも言っています。
なぜそうしたことが起きてしまうのか。それは不安を根こそぎなくそうとして、私たちが時にあまりに現実へ干渉し過ぎてしまうから(現実はコントロールできるという幻想に囚われる)。もちろん、現実とありのままの自分とのあいだに矛盾がなくなれば不安もなくなると思ってそうする訳ですが、実際には想像力が減退し思考が閉鎖的になり、また違うところから不安が湧いてきた時の対処がより困難になっていくのです。
今週のさそり座は、そうした負のスパイラルに歯止めをかける意味でも、今こそ自分の中の「像」を疑い、それらをほぐして自分自身を解放させていきたいところです。
今週のキーワード
現実をコントロールしないこと