さそり座
だんだん“われ”が消えていく
こちらは4月12日週の占いです。4月19日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
静かなるASMR
今週のさそり座は、「独り句の推敲をして遅き日を」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、淡々と自分の仕事に没頭していくような星回り。
昭和34年の春、作者が85歳で亡くなる9日前に詠んだ句。
決して自分自身について詠んだ訳ではなく、あくまで弟子の十七回忌に寄せて、その面影を「独り句の推敲をして」と表現したのでした。
とはいえ、今やこの句を鑑賞する者にとって、独り句の推敲をしつつ遅き日を過ごす人に他ならぬ虚子本人の姿を重ねずにはいられないでしょう。そうして亡くなった後にも、俳句の世界に永遠に居続けてくれることを、多くの弟子や読者もまた願ったはずですから。
ゆったりと時間の流れる春の昼下がりには、そうして永遠にみずからの仕事に励み続けている死者の存在が、なんとなく傍近くに感じられてます。墨をする音、原稿にインクを走らす音、書籍をパラパラとめくる音。そんなかすかな作業音をとおして、今も死者と生者は互いの存在を確かめ合っているのではないでしょうか。
12日にさそり座から数えて「奉仕と労働」を意味する6番目のおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、動きのなかで瞑想的時間を作り出していくべし。
頭か、からだか
禅思想の極みの一人である道元(どうげん)の言行を伝える『正法眼蔵随聞記』を開くと、「仏道を得るには頭や言葉で得るか、からだで得るか」という命題が繰り返し強調されていることに気が付きますが、これはそのまま今週のさそり座のテーマに他ならないのだと言えるでしょう。
つまり、意識や「われ」というのは絶えず、物事や人生の意味や目的を問うけれど、そこで感じとる苦痛や快感、満足や没落といった実感を創り出しているのは誰かということ。
それは「われ」ではなく、その背後にある「自己」であり、すなわち理性や精神ではなく、“からだ”であるのではないでしょうか。
腑に落ち、身に覚えのあることだけが、「自己」ないし意志の直接的な代弁者として「われ」の喜びや満足や情熱を創り出していくのであって、決してその逆ではないのです。
その意味で、今週のさそり座は、自分の中でだんだん「われ」が消えていくなかで、逆にだんだんと強まっていく意志や確信を直接的に感じていくことができるかも知れません。
今週のキーワード
からだは意識よりも深く大きい