さそり座
うごめき始めた私かな
温故知新
今週のさそり座は、「しぐるるや駅に西口東口」(安住敦)という句のごとし。あるいは、新しい無常を見出していくような星回り。
冬のはじめに一時的に降ったりやんだりする雨のことを指す「時雨」は、芭蕉が深く愛した事で知られ、無常を感じさせる中世的な季語。
掲句はそこに現代的な都会の駅の光景を取り合わせている点で斬新な訳ですが、ここで西に東に東奔西走しているのは作者本人というより、作者の目に映っているまるで生き物のようにたえずうごめき続けている人の流れでしょう。
人混みというのは、どうしても息苦しく、殺伐とした光景として連想されやすいものですが、掲句ではそこに柔らかに降る「しぐれ」を重ねることで、どこか連綿と続いてきた人の世のあたたかみをかすかに見出そうとしているようにも感じられます。
考えてみれば、思わずホっとするような安心感というのも、じっと固まって動かないでいるものよりも、いつも動いていて、ひとつ所におらず、たえざる移ろいの中にある無常にこそ見出されるものであり、それこそが生命の根源的性質、ないし文化というのもの生命線なのかも知れません。
15日に自分自身の星座であるさそり座で新月を迎えていくあなたもまた、自身のなかに、いつまでも生命力を失わず、うずうずとしている流れやゆらぎを見出していくことができるはず。
風狂を貫く
そもそも「しぐれ(時雨)」には文字通り「時に降る雨」や「時ならずして降る雨」という意味があり、室町時代の乱世においてはその定めなさに人生の無常が託された訳ですが、芭蕉の生きた江戸時代にはむしろ忘れていた人生の真実を告げ知らせてくれる風狂の世界の代名詞でもありました。
芭蕉には「旅人と我名よばれん初しぐれ」という有名な句があるように、「旅人」となることは日常的現実から離脱してそうした風狂の世界の住人となることを指し、「しぐれ」はそのための合図だったのです。
そしてそうした「風狂」の原型となったのが、室町時代の僧・一休宗純であり、彼の遺した「自賛」という詩の冒頭には、「風狂の狂客、狂風を起こす」という一句があります。これはそこまで突き抜けるのでなければ僧としての本分を全うすることはできないのだというひとつの意志表明でしょう。
その意味で、今週のさそり座もまた、自分なりの「突き抜け」方を態度表明していく絶好の機会なのだともいえるかも知れません。
今週のキーワード
うずうず・ゆらゆら