さそり座
来るべきものの到来
偶然ぽつねん
今週のさそり座は、「なかなかにひとりあればぞ月を友」(与謝蕪村)という句のごとし。すなわち、何か誰かが心の奥深くへ食い込んでくるような星回り。
中秋の名月(十五夜)から約1ヶ月後の満月(十三夜)は「後の月」や「裏名月」とも呼ばれ、古来より中秋の名月と並んでお月見を行う習慣もあり、片方だけのお月見は「片見月」として縁起が悪いともされました。
そんな訳で、いつもなら客が訪れにぎやかになるはずが、どうしたことか、今年の十三夜は誰からのお誘いも訪問もなく、仕方なく家で独りぽつねんとしていたら、皮肉なことにすばらしく晴れた一夜となった、といったところでしょうか。
最後が「月の友」であれば月に主体が移って、作者のぽつねん具合がうやむやになるところでしたが、「月を友」とすることで、わたしが独りであったればこその月との交友を満喫できた事実が際立ったのです。
これが、はじめから独りで過ごすと決めていたならば、この句はそこまで風流とは言えなかったはず。
31日にさそり座から数えて「他者」を意味する7番目のおうし座で、「遠い距離感」の星である天王星とともに満月を迎えていく今週のあなたもまた、孤独のうちにある満足や歓びへと不意に開かれていくのを実感していくことになるでしょう。
「イノベーション」と「インベンション」
与謝蕪村は江戸時代当時は今ほど俳人として知られておらず、明治に入って正岡子規が「蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕するところあり」と書いたことで、再評価が一気に進んでいきました。
子規は27歳で病いを得てから34歳で亡くなるまでの足掛け7年もの間、ずっと病床にありながら短歌や俳句の革新を成し遂げていった訳ですが、対象がなまなましく迫ってくるリアリズムを俳句において追求しようとしていた子規にとって、蕪村の存在は必ず世に知られ、到来せねばならぬものと映っていたのではないでしょうか。
つまり彼のやったことというのは、中に(in)来る(venir)の「インベンション(来るべきもの)」であって、「イノベーション(新しきもの)」ではなかった訳です。ああ、やっと待ち望むものが来たと。
別に何でもいいんだけど、新しいもの(novelty)を見せて世間を(誰かを)アッと言わせてやれというのでは決してない。今週のさそり座もまた、そのあたりの違いということを、自分の身に引きつけて考えていきたいところです。
今週のキーワード
ただ独り待ち望むこと