さそり座
身を軽くする
恐れや狂気を消して
今週のさそり座は、「月の人のひとりとならむ車椅子」(角川源義)という句のごとし。あるいは、これまでいた場所からそっと離れていくような星回り。
作者最晩年の句。亡くなる前日に病室へ見舞いに訪れた作家・井上靖は、帰宅する車中でその日渡された俳誌に載っていたこの句を目にして、「なんとなく、その俳句の心の中に入って行くのを躊躇させられるようなものがあつた。家に帰つてからも、またその句に眼を当てた。眼を当てただけで、思いをそこから逸らせた」と述べています。
そして、その翌日作者は亡くなったのだそうです。おそらく病室の窓から秋の月を眺めてこの句を詠んだとき、作者はすでにみずからの死を意識していたのだと思いますが、ここには恐れや狂気のようなものは感じられません。
その、そっと消えてしまいそうな存在感こそが、残される側の「眼」を逸らせたのでしょう。月の世界の人となろうとする無邪気さと、「車椅子」という境涯の結びつきが切ない一句です。
淡々としみてくるような月光は、作者を車椅子から解放し、軽やかにその身をのぼらせていったのでしょう。
10月1月から2日にかけて、さそり座から数えて「身辺整理」を意味する6番目のおひつじ座で特別な満月を迎えていく今週のあなたもまた、そっとどこか違う世界へと誘いにのっていくような一つのトランスフォーメーションを迎えていくことになるはず。
リズムに入って、持っていく
能の教えに「軽々と機をもちて」というものがあります。これは「序破急」という能舞台の時間の変化をいう時に使われる言葉で、元は能の大成者である世阿弥(『花鏡』)。
序は始まりのことで、時間がたって熱してくる頃が破、そしてクライマックスを迎えて終わるのが急。日本に限らず、アジアやアラブの音楽のリズムもこの序破急になっています。
だからどうしても「序破急」と言われると、始まりはゆっくりとやるもので、それが当然と思い込んでしまう訳ですが、世阿弥が生きた当時、能は必ずしも静かな場所で行われるとは限らず、酒宴の席など相当騒がしい場所で行われることも多かったと言います。
そこで世阿弥の言った「軽々(かるがる)と機をもちて」とは、序にある役者は自分の気持ちを軽やかに引き立てて、場や相手のリズムにそっと合わせていくのがいいと言っているのです。固くなりすぎず、かといって自分勝手にくだけすぎもせず、まず場や相手のリズムに入り込んでから、いつの間にか自分のリズムに持っていく。
役者としての成熟とは、いくつものリズムを自分の身体の中にもっているということであり、それはそのまま今のさそり座が人生に弾みをつけていくためにぜひとも必要な教えであるように思います。
今週のキーワード
役者としての成熟