さそり座
意志と存在
ディオニソスの身体
今週のさそり座の星回りは、ディオニュソスの解体構築。すなわち何も持ち合わせていない、本当の素っ裸の存在として自らをあらわにしていくこと。
ボードレールの「バッカスの杖」という詩に「曲線と螺旋とが沈黙の愛情を注ぎながら直線に言い寄り、その廻りで踊りを踊っている」というの一節が出てきますが、この酒の神バッカスとはギリシャ神話における酩酊と豊穣の神ディオニュソスのこと。
そして、そのディオニュソスを祀る秘祭で用いられる蔓を巻いた松明(テュルソス)こそ、頭や手足のない胴体だけの彫像(トルソー)の語源であり、すなわちディオニュソス自身が手足や頭部を寸断され、剥奪された「トルソー的身体」に他ならないことを暗示しているのです。
古来より狂気の神でもあったディオニュソスは、死への衝動を含み込んだ生きる意志のシンボルとして、周囲を凄まじく巻き込む強烈なパワー(カリスマ性)で知られてきましたが、そのパワーの秘密こそ四股や衣服にとどまらず、皮膚さえも剥ぎ取られながらも存在し生きる意志を失わない「トルソー的身体」にあった訳です。
今週は、本質的に未完なままである自らの人生に対して、一切の虚飾やポーズをそぎ落とし、その存在の意味を鋭く突いていくことになるでしょう。
何ができるかではなく、いかに在るか
ある思想家が自著の論旨を次のように結んでいました。
現代を生きる私たちは、「もつこと」(having)と「すること」(doing)と「あること」(being)の関係とそれらの違いについて、ますます問いなおさなければならなくなっているのではないかと。
例えば何もしていなくても、ただそこに在るだけで、圧倒的なパワーを発揮するということもあるだろうし、逆に何か立派な道具や資格を所有していたからと言って、それが必ずしも自分らしく動いていくことを助けてくれるとは限らず、場合によっては動きの幅を狭め、自分という存在をつまらなくしてしまうかも知れない。
特に、何をもつのか、何をするのか、ということと、いかに在るのか、を混同してはならないし、今週はこの3つ目について、より深く問うていくことが求められているように思います。
今週のキーワード
トルソー