さそり座
自己の明け渡し
視座の転回
今週のさそり座は、フランクルの名乗る勇気のごとし。あるいは、名前を消すことを断念していくような星回り。
ナチスによる収容所体験で父母と妻を失いながらも生還し、その体験を『夜と霧』(現代は『ある心理学者の強制収容所体験』)として1946年に刊行したフランクルは、その翌年の公演で次のようなことを語りました。
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。(中略)生きていること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。(『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳)
この人生の意味を問うことから、問われていることに応えることへという180度の転回は、実際にフランクル自身にも起きていたことでした。というのも、『夜と霧』の出版を当初は匿名で、より厳密には被収容者番号で行うことを考えていたのです。
わたしは事実のために、名前を消すことを断念した。そして自分を晒け出す恥をのりこえ、勇気をふるって告白した。いわばわたし自身を売り渡したのだ(『夜と霧』池田香代子訳)
11日から12日にかけて、さそり座から数えて「公にすべきこと」を意味する7番目のおうし座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、行動と態度をもって人生の問いに応えていく覚悟を固めていきたいところです。
es blitzt
鉄血宰相として知られ、19世紀ドイツ一帯をまとめて統一を実現させたビスマルクには非常に興味深いエピソードがあり、それは家族との会話として記録された次のような言葉の中に端的に表れています。
私はしばしば素早く強固な決断をしなければならない立場になったが、いつも私の中のもう一人の男が決断した。たいてい私はすぐあとによく考えて不安になったものだ。私は何度も喜んで引き返したかった。だが、決断はなされてしまったのだ! そして今日、思い出してみれば、自分の人生における最良の決断は私の中のもう一人の男がしたものだったことを、たぶん認めねばならない(互盛央、『エスの系譜』)
なんと、鉄血宰相としての重要な判断は、自分が考えて決断したのではなく、「自分の中のもう一人の男」がしたと言っているのです。つまり、ビスマルクにおいては、「私が考えるich denke」という時の“考え”とは自分が意図的に案出したものではなくて、まるで「稲妻が走るes blitzt」ように自然と思い浮かび、時にはその内容に自分自身でも戸惑ってしまうような代物だったという訳です。
今週のあなたもまた、みずからの決断は「私ich」ではなく「それes」がしたのだと自然に思えるよう、意識を研ぎ澄ましていきましょう。
今週のキーワード
それが行うだけ