さそり座
流れと転変
舟ゆく人々の軌跡
今週のさそり座は、舟に乗り込む人のよう。すなわち、命を担保にして流れる風景と向き合っていくような星回り。
現代社会では、ちょっとした距離を移動する時などはタクシーに乗ったりしますが、水路が発達していた江戸時代の人は家のそばから猪牙舟(ちょきぶね)といって、屋根なしの小さな舟に乗って移動するのが基本でした。
ところが、江戸から明治、明治から昭和への近代化の過程でその水路を暗渠にして、目の届かない地下へと封じてしまった訳です。
水の動きは、自然を目に見えるものとして感じさせてくれる大切な要素だったのですが、それを失って上下左右をコンクリートやアスファルトに囲まれるようになった現代人は、かなり想像力が損傷してしまったのではないかと思われます。
そして、こうした世界を安定した動かないブロックに変えてしまった時代の流れに最も反する本質を持っているのが水の星座の人たちであり、今こそ足もとから捉えどころのないものを取り出そうとしているのがさそり座なのだと言えます。
14日にさそり座から数えて「生き返りと流動性」を意味する3番目のやぎ座にある木星・冥王星に改めて焦点があたっていく今週のあなたもまた、安定した陸上にただいるだけの見方から、不安定な流れのなかで水の流れとともに動いていくような見方へと、自分の感覚のモードを切り替えていくといいでしょう。
柳田による「地の島」のイメージ
九州東海岸沿いを大分から大隅半島まで南下しつつ、さらに奄美・沖縄諸島・宮古・八重山列島そして最後に与那国島へと旅した記録をもとに書かれた紀行論集『海南小記』の中で、柳田は特に九州南部の浦々について「地の島」というイメージを描き出しました。
これは海岸から見て少し離れた沖に浮かんでいる「沖の島」と対になっている言葉で、海辺の崖がわずかに崩落しただけの陸の“おまけ”として、ほとんど人間に省みられることのない付随的な存在として見なされてきた訳です。
ただ、面白いのは柳田がそうした「地の島」がのちに周囲の川が運んできた泥によって再び陸と繋がったり、あるいは逆に崩落が進んで沖に動いて沖の島になったりといったケースに注意を向けつつ、陸と海との臨界に幾通りもの転変のあり方を想像しているところ。
いわば、沖の島やそのさらに先に連なっている大洋島(過去に大陸と地続きになったことがない洋上の島のこと)や孤島の手前に「地の島」はあり、行きつ戻りつしながらも徐々に大陸から離れていく過程の最初のステップを柳田はそこに見たのでしょう。
そしてこうした「大陸」と「地の島」の関係を、かつての大和朝廷などに象徴される一つの巨大勢力や強力なイデオロギーに呑み込まれていった人々と、そこから何らかの形で離脱し決別していった人々のあり方と重ねていく時、そこには今のさそり座が目指すべき方向性もまた浮き彫りになってくるはず。
今週のキーワード
幾通りもの転変のあり方を想像していくこと