さそり座
重いものを軽くする
かるみの立ち姿
今週のさそり座は、「老人が被つて麦稿帽子かな」(今井杏太郎)という句のごとし。あるいは、ちょうどよく力の抜けた「かるみ」を目指していくような星回り。
あまりにも技巧的で観念的に過ぎる句に対しては、かつて芭蕉は「おもみ」という言葉を使って批判したことがありましたが、掲句はその対極に位置づけられるだろう「かるみ」の一句。
老人がかぶっているのは、高級なシルクハットでも洒落た夏帽子でもなく、何の変哲もない「麦稿帽子(むぎわら)」であり、それもおそらくかぶり古したものでしょう。
「老人」もまた、なにか読者を驚かせたり、ギョッとさせるようなことをしている訳ではなく、ただそこにいるといった感じで、特別気取った風でもない。
中七の「被つて麦稿」が八字で字余りであるのも、ちょっとしたぶかぶか感がして、ぴったりであるよりも、この「老人」には似合っているでしょう。
12日にさそり座から数えて「洗練」を意味する6番目のおひつじ座で火星に月が重なっていく今週のあなたもまた、できるだけ不要なものをそぎ落としていくことに力を割いていくべし。
暗い影と向き合う
人間というものはすべて、例えどんなに洗練されているように見えても、太古的なものを引きずっており、したがってその生活や人間関係など、必ずどこかに醜悪で不気味な暗い影が差しているものです。
そうした側面をふとした拍子に垣間見た者は、わざわざさかしらに暴きたてるような野暮な真似までしないものの、受け止めきれずに一方的な価値判断を加えてみたり、自分が見た悪夢を打ち消そうと完全な明るさに満ちた別の関係を夢見ていく傾向にあります。しかし、それこそ終わりなき幻影を囚われ、取り込まれていくことに他ならないでしょう。
心にはまだ発達可能な太古的無意識の「残り」がありますが、それがどれだけの規模なのかは、誰にも分かりません。
人はなぜ理性的でないのか。善のみ行わず、悪を為すのか。愚行を繰り返し、最善の意図を見失うのか。そして、なぜどこまでも自分に満足できないのか。今週は先の垢抜けた「老人」の姿を念頭に置きつつ、改めてこうした問いかけに立ち返ってみるといいでしょう。
今週のキーワード
麦わら帽子