さそり座
不自由なのに最高に自由
どこまでも未完
今週のさそり座は、「老骨に残りし花」という世阿弥の言葉のごとし。あるいは、不可避の受容の美学をゆくような星回り。
この言葉は、世阿弥が後継者へ向けた「稽古は強かれ、情識は無かれ(稽古の厳しさを忘れず、慢心することなく)」という言葉とセットになって遺したもので、その意味で世阿弥の数々の教えの中でも究極の一言とも言えるかもしれません。
確かに、人生においていくらか年をとってそれなりの地位や結果を得ると、居心地がよくなってもうこれでいいと思って、自己満足に陥ることがある。それが慢心となって努力を怠るようになり、謙虚さまで失ってしまうと、いわゆる老害となり(年齢に関係なく)、世間の害悪でしかなくなる。
どんなに年をとっても、どんなにこの世で何かを得たとしても、それは決して到達点ではなく、さらなる完成を目指すための出発点なのだという覚悟、そしてそこから開かれてくる自由と可能性。それを世阿弥は「花」と言ったのでしょう。
今週のさそり座のあなたにもまた、どこかそうした出発点に改めて立っていこうとするような覚悟の気配を感じます。願わくば、それが「老骨に残りし花」となりますように。
受容のための技術
この世の喧噪や、欲望のもつれを散々経験した後、それに嫌気が差して軽蔑的に振る舞ってしまう人はたくさんいますが、今週のさそり座はそうした俗世間や自らの過去の体験に対して、どこか霊的に豊かな意味合いを見出していくことができるでしょう。
それもこれも、そうした過去の環境とは対照的な、静謐さや穏やかさを自分の手で作り出していく術を覚えたおかげ。
こまごまとした雑務を丁寧にこなしたり、自分で決めたスケジュール通りにきちんと生活していくことの効力は、どうにもならないことばかりのこの世界で、多少なりとも自分でどうにかできる領域があるんだと実感し、浮世を自在に漂う小舟のような「ささやかな自分の居場所」を見つけていく中で真価を発揮します。
あるいは今週は、そうした「自由」ということにまつわる矛盾をあらためて実感していく時なのだと言えるかもしれません。
今週のキーワード
250年くらいのタイムスパンで生きてみる