さそり座
触れてはならぬものに触れる
過剰な力を呼び込むために
今週のさそり座は、この世界の「呪われた部分」に触れていくような星回り。あるいは、自らの心の境界領域に踏み込んでいくこと。
長く生きていると、時おり、普段じぶんが属していると思っている社会の外側から世界が侵入してきては、これまでの秩序を乱したりひっくり返してしまうことがあります。
そうした畏るべき力のことをかつてはどの民族も「聖なるもの」と呼んだものでした。
例えば、マレー半島の先住民は、聖なるもののなだれ込みを促すものとして近親婚をタブー視するだけでなく、同様の意味で、猿に不用意に笑いかけたり、人間を相手にするように話しかけることを禁じました。
他にもある種の虫や鳥の声をまねることや、鏡に映った自分を見つめすぎたり笑いかけたりすることもタブーと見なしていました(レヴィ=ストロース『親族の基本構造』)。
それらには、人間と自然とを隔てることで人間世界を成り立たせている壁を、溶解させるだけの魔力が潜んでおり、自然界の過剰な力をはらむ「呪われた部分」に他ならなかった訳です。
ただ今週のさそり座の人たちにとっては、そうした人間世界に近づいては翻弄してくるマージナルな存在や領域は、宇宙的な力を内部に取り込むためにぜひとも接近し触れていくべきものなのだと言えるかもしれません。
決定的な転回点に立つということ
畏敬の念。それはどこかウソ臭くなってしまっていた現実に「ナマの感覚」を取り戻させるための決定的な転回点でもあります。
例えば、「首都」を意味する「京」という漢字の成り立ちには、以下のようなエピソードが秘められているそうです。
「国の都を京都という。京は城門の象であるが、その門は戦没者の屍骨を塗りこんで作った。(中略)戦役の勝利者は、敵の屍骨を集めて塗りこめ、その凱旋門を都城の入り口に建てたのである。これもまた隠れた祈りである。この怨念に満ちた死者たちの怒りは、すぐれた呪霊を発揮するものと考えられた。」(白川静、『漢字百話』)
考えてみれば、歴史ある首都であれば生きた人間以上に、おびただしい数の死んだ人間の気配がどこかに残されてあるはずです。
その意味でこの世とは、まず何よりも「死んだ者が思いを遺していく」場であり、次に生ける者がその上に思いを重ねていくための場。そうした、原始的本能がうごめき、忘れていた感覚を取り戻していく機会を、どうか逃さないようにしてください。
今週のキーワード
マージナル