さそり座
漏れだしてそこに在るもの
抑制と解放
今週のさそり座は、「ひぐまのこ梢を愛し愛しあふ」(生駒大祐)という句のごとし。あるいは、空気を読んで抑制し、それでも抑えきれない思いを「ああ」と漏らしていくような星回り。
ぶっちゃけて言うと、僕にはこの句が一体何のことを言っているのかよく分かりません。でも、一読して愛だなってことは伝わってくる。そうすると、今度はこういう句を作った人は一体どうやって句を作ったのか、ということが気になってくる。
以下、勝手な憶測をしていくと、「ひぐまのこ」も、「梢」という言葉にも、正直あまりリアリティはない。だからこれはある種のメルヘンであって、「おはなし」づくりの一環として書かれているのではないか。そして、そこで作者はいったんぐっと内にある自身の主観を飲み込んでいる節がある。
けれど、そうしていったんは抑えこんだはずの主観が最後の「愛しあふ」の「ふ」というところで、こちらに思いきり漏れてきてしまっている訳です。
今のわざと? ああ、でもそれがかえって良いと言いますか、こちらまで嬉しくなってきちゃうんですよね。そういうことって、ありませんか? きっとあるはずでしょう。
今週はさそり座にとって、そういう週なのだと思います。
言葉と言葉にならないもの
そうなってくると、もう言葉を使うレトリックや技法のうまい下手というのは二の次になってくるのではないかと思います。
要はそこに思想があるか。信じずにはいられない何かが、愛さずにはいられない誰かが、確かに在るのだ。そう感じた時に、内側から溢れだしてくる熱いものがあるかどうか。
それをエモエモしく「愛」といったり、複雑な顔をして「霊」といったり、抑制をきかして「思想」と言ってみたりしてきた訳ですが、呼び名なんて何でもいいんだ本当は。
でも、あえて呼び名をつけて、そこに言葉を添わせていく。ちゃんと「社会的動物」としての人間をやっていく。抑制していく。
だからこそ、最後の最後で言葉にならないものが言葉の背後から漏れだして、心から心へ伝わっていくのではないでしょうか。
今週のキーワード
一に思想、二に技術