さそり座
腐らないでいるために
生理を満たす
今週のさそり座は、「僕のほかに腐るものなく西日の部屋」(福田若之)という句のごとし。あるいは、生活の必要十分条件を見定めていくような星回り。
おそらく、同居人もペットもいないのでしょう。西日の射す部屋にぽつんと佇みながら、自分が生きて在るという生の不思議さに無心で浸っているのかもしれません。
将来の目標も見出せず、なんとなく日々を生きてしまっている。有意義なこともしていない。それを感じさせてくれるものものない。
この句に写し出されているものは若者特有のモラトリアムほどに限定的なものではなく、どこか憂いとも諦めともとれる生の根本情調とも言えるかもしれません。
それでも、「僕」は生きている。どんなに気持ちは腐ろうとも、生きて在り続ける限り、常に中身が入れ代わっているから腐りきらないのです。
自分を生かしてくれているのは、そんな生活に内蔵された循環システムであり、それを意識に促してくれる空腹や眠気や排泄などの生理現象なのではないでしょうか。
今週は、そんな生理現象を心地よく満たしていくような生活の必要十分条件の配分やバランスや質を、自分らしく整えていくことになっていきそうです。
秘密と予感
何か大事なことをわかりかける時というのは、人はみな孤独なのではないでしょうか。
つまり、安易な交わりで自分と他人をごっちゃにしてしまうことが間違ってもないような、肌に突き刺さるような冬の空気のようなものを感じている時に初めて、目に見えない真の交わりへと開いていくことができるのではないか。
この点について心理学者のユングは最晩年に出版された『ユング自伝』において、次のように言及しています。
「われわれがなんらかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対して予感を持つのは、大切なことである。それは、われわれの生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たしてくれる。それを一度も経験したことのない人は、なにか大切なことを見逃している」
ユングからすると、生活の必要十分条件とは、どこかの時点で自分だけの秘密にならざるを得ないものであり、心地よく生きていくということは、恐らく何らかのかたちで「なにか非個人的な、霊的なもの」との折り合いを予感していくということなのでしょう。
今週のキーワード
そこで何が循環しているのか