いて座
不安を語る勇気
喧噪の発生
今週のいて座は、『野分やんで人声生きぬここかしこ』(原石鼎)という句のごとし。あるいは、人の力のうねりが生まれていくさまを目撃していくような星回り。
「野分(のわけ、のわき)」は台風の古語。台風が来ている最中は怖ろしい風の音しか聞こえなかったのが、やんだ途端にそれまでほとんど存在していないかのようだった人間たちの声が、ほつほつとあちらこちらで聞こえてきたのだという。
事実でいえばただそれだけのことではありますが、「人声生きぬ(人の声が生き返ってきた)」という力強い表現は、まるで自然界の暴威の前で死滅しかけていた人間界そのものが復活して、人びとの喧噪が戻ってきたかのような幻想をついつい連想させます。
喧噪というのは、人間がひとりいるだけでは決して成立しません。自然の力に対する素直な声や意見が、ひとつふたつ、いや十やら百やら集まっきて、ようやく喧噪というのは生まれてくるのであって、掲句はその過程をじつになまなましく描き出してみせたのだと言えます。
翻って、今あなたの前で暴威をふるっているのはどんな類いの災いであり、それに対してあなたはどんな意見や感想を抱いているのでしょうか。そして、あなたの周囲の喧噪は、ただの一過性の噂話に過ぎないのか、それともある種の未来への潮流なのか。
8月26日にいて座から数えて「カウンター」を意味する7番目のふたご座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、内にも外にもいつも以上に耳を澄ませていきたいところです。
どもってもいい
ここでいったん歴史を振り返ってみましょう。松沢裕作の『生きづらい明治社会―不安と競争の時代―』によれば、身分制が解体され「文明開化」が叫ばれた明治時代は、じつは大変に「生きづらい」世界でもあったのだそうです。
新しい社会において「不安と競争」に投げ込まれた人々は、貧困に陥るのは自分の努力が足りないからだという道徳観念をさらに強化し、貧困者や弱者に対する冷たい視線を当たり前のものにしていったのですそれから150年以上が経過した今、私たちは、明治時代の人々とどこか同じ轍を踏もうとしているのではないでしょうか。
では「がんばれ」と言う代わりに、私たちは何を言えばいいというのか。松沢は、その点について「不安にあらがう方法の一つが、言葉によって、理屈にそって、自分が何におろおろしているのかを、誰かに伝えることなのだ」と書いています。
どもってもいい。心のなかが不安でいっぱいな時、言葉をなめらかに言うことができず、つかえて同じ音を何度も繰り返したりすることは、何らおかしいことではありません。むしろ、それでも何かを伝えようとすることは大変に勇気ある行為なのです。
その意味で今週のいて座もまた、改めて困難な時代に生きるみずからの不安の表出に取り組んでいくことがテーマとなっていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
そっと不安をすくい上げる