いて座
恩寵としての健忘
しずかに心震わせて
今週のいて座は、『南浦和のダリヤを仮のあはれとす』(攝津幸彦)という句のごとし。あるいは、何気ない日常のなかにこそ未踏の領域を見出していこうとするような星回り。
ちょうど作者が埼玉の与野に腰を定めて、家庭を築き始めた頃の作。通勤途中にたまたま見かけたのが、ダリヤだったのでしょうか。「天竺牡丹」という異称もある夏の花らしく、色彩も大きさも派手で、過剰に飾り付けるとちょっとバタ臭く感じられてきてしまうところですが、むしろ作者には真逆の直感をもたらしたのでしょう。
「南浦和」という、東京駅や新宿駅からほどよく離れたベッドタウン特有の落ち着いた生活感と組み合わさったダリヤに接した瞬間、これこそが自分に与えられた「あはれ」なのではないか、という考えが頭をよぎったという。
「あはれ」とは、1000年以上昔から培われてきた日本独特の美意識であり、ものやことに触発されて生じる、しみじみとした趣きのこと。伝統的なフォーマットに従えば、夕顔や撫子のような、可憐で奥ゆかしい花に向けられてきたはずの思いを、なぜか「南浦和のダリヤ」に感じている自分に気付いて、それが「仮のあはれ」というどこか屈折した表現に結びついているのです。
おそらく、作者はかつての貴族的な典雅や風流などとは無縁な自身の暮らしぶりに、どこかで戸惑いと諦めとを抱いていたのだと思います。それでも、どんなに形は変わっても、自分が現に生きている文脈や時代に即した「あはれ」があるのだという発見に、しずかに心震わせていたのかも知れません。
8月4日にいて座から数えて「探求」を意味する9番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どんな状況にあったとしても、自分には探求していきたいものがあるのだということを、改めて確認していくことになりそうです。
探求の旅は忘却から
前触れなく記憶の一部が消えてしまう健忘。時にはそれに、つまづくことの多い私たちの人生の道行きが大いに助けられることがあります。
未来は何かを「意志する」ことで始まっていくのだと、私たちはどこかで固く信じているところがありますが、それは裏を返せば過ぎ去った過去に背を向け、ただ未来だけをまなざし、これまでの一切から切り離された始まりであろうとすることでもあり、過去を不自然な形で「忘却したことにする」ことに他ならないのだとも言えます。
その意味で、何かを健忘してしまうということは、ごく自然なかたちで、意志による始まりのきっかけとなる訳ですが、もうこれは率直に言ってしまえば、意志の働きなんてものは忘却からしか発動し得ないある種の幻想なのではないでしょうか。
今週のいて座もまた、ある意味での忘却期間として、色んなことをすっかり忘れて、半径数メートルくらいの<いまここ>からやり直してみるくらいのつもりで過ごしていくといいかも知れません。
いて座の今週のキーワード
「仮のあはれ」