いて座
心にまことを持つ
おろかなる人恋いを
今週のいて座は、『草矢すぐ落ちて人恋ひおろかなる』(鷲谷七菜子)という句のごとし。あるいは、自分が狂うことができないのであれば意味がないのだと割り切っていこうとするような星回り。
「草矢(くさや)」とは、そのへんに生えている葦や薄の青葉を引きちぎって、指にはさんで矢のように投げること。ただ、掲句では飛ばした矢はすぐに落ちてしまい、その瞬間、まるで矢が心臓に食い込むかのようにますます思いが募ってしまったというのです。
「おろかなる」人恋/乞いとは、おそらくは自身の胸に深く秘めた思慕のことでしょう。それは初めから手に入れることのかなわない恋なのか、それとも手に入れようとは願わない愛なのか。いずれにせよ、恋人であれ夫婦であれ、相手と特定のステイタスに落ち着きたいという思いを抱けるような小利口な人間なら、そもそもこんな句などつくっていないはずですから、作者が胸に秘めている思いというのも、よくある定型にはおさまらないものなのかも知れません。
ここで筆者が個人的に思い出される情景があります。以前とある飲み会の席で、久しぶりに会った友人に「彼女できた?」と聞いたところ、「恋をしています」と言われて、ハッとしたことがあったのですが、掲句の「おろかなる人恋い」というのもそれに通じるところがあるように思います。
すなわち、自分という主体の外にあって作為的に働きかけたり、コントロールできるものとしてではなく、自分という主体がまさにその最中の座にあって、そこから影響を受け、リアルタイムで変わっていってしまうようなものとしての恋に生きているという点で。
6月29日にいて座から数えて「生の実感」を意味する5番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分を愚かにしてくれるようなものの内にこそ、みずからを置いていきたいところです。
「花に対して信(まこと)」
俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の弟子である嵐雪が編んだ『或時集』の序文には、次のような一節があります。
花に対して信なくんば、花うらみあらん。句は是にならふべし。花に問へば花かたることあり。姿はそれにしたがふべし、と或る時教ゆ
この「信」は「誠」にも「実」にも通じ、自己と対象とを共に天然自然の理(ことわり)に委ねて誠実であること、そして自己を空しくしていくことで、対象に肉薄し、一体化していくことを、ここでは「まこと」と言っているのでしょう。
「花」はもちろん万象の代表であると同時に、おそらく嵐雪にとって師である芭蕉であり、その教えを指しているのではないでしょうか。つまり、この序文こそ師である芭蕉の教えの核心であり、自分の俳論の最重要部分なのだと、嵐雪は考えていたのかも知れません。
自然の万象にたいして、「まこと」をもって向き合うとき、「花」もまたそこに姿を現し、語るべきこと、すなわち「句」もまた十全にかたちを結んでいく。しかし、「まこと」を持てず、恣意的に意味を築きすぎたり、逆に受け身すぎてしまえば、「花」は恨みの気持ちを心中に抱いてその姿を現さず、語るべきことも浮かんでこないのだ、と。
同様に今週のいて座もまた、師弟関係であれ、恋愛関係であれ、誰か何かへの思いが身に沁みていくのを実感していくことができるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
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