いて座
孤独者の実感
ある隠遁計画
今週のいて座は、ルソーにおける「閑暇の時代」のごとし。あるいは、思い切って「閑居における瞑想」へ飛び込んでいこうとするような星回り。
フランス革命に大いに影響を与えたジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)は、最晩年の随筆集『孤独な散歩者の夢想』の中で、自分の人生の分岐点となった決断を振り返って次のように書いています。
僕は青春の頃からこの四十歳という時代に目標をおいて、これを自己完成への最後の努力のときであり、自分のあらゆる抱負の終了期であると定めておいたのである。この年齢になったら、自分がいかなる境遇にあっても、それから逃れようなどともがくことはしまい、余生はのんびりしよう、そして、未来のことなどくよくよしまい、こう固く決心していた。その時は来たのである。僕はこの計画を難なく遂行した
実際にルソーは40歳を前に定職を辞し、楽譜の清書の仕事だけで生きていく(今でいうフリーランス)生き方へと転換し、それと時期を同じくして『学問芸術論』や『人間不平等起源論』などの主著を次々と発表し、思想家としての地歩を固めていきました。そしてそんなルソーの脳裏にあったのは、青春の盛りを過ごした田舎の閑静な生活でした。
閑居における瞑想、自然の研究、宇宙の観察は、いきおい、孤独者をして、造物主の方にたえず向かわしめて、自分の目に映るあらゆるものの目的と、自分の心に感ずるあらゆるものの原因を、こころよい不安の念をもって探求せしめたのであった。運命が再び僕を世の風潮の中に投げ込むにおよんで、僕は、一時たりとも心を慰めてくれるような何物ももはやそこには見出さなくなった。そして、あの楽しかった閑暇の時代をなつかしむ心は、その後の僕にどこまでもつきまとってきて、幸運や栄達が得られるような、どんな手がかりが目の前に現れても、無関心と嫌悪を投げつけるのみだった
11月8日にいて座から数えて「隠遁」を意味する12番目の星座であるさそり座後半に太陽が入って立冬を迎えていく今週のあなたもまた、ルソーのように自身に十分なヒマで心しずかでいられる時間を与えてやることがテーマとなっていきそうです。
生きた実感を刻んでいく
翻訳家で近年はエッセイストとしても知られる岸本佐知子のエッセイ集『死ぬまでに行きたい海』では、過去をさかのぼって古くからの思い出や思い入れのある場所を訪れては、記憶していた何かがすでに失われてしまったという体験が繰り返されていきます。
例えば、笙野頼子の『タイムスリップ・コンビナート』を読んで以来、想像し続けてきたJR鶴見線の海の見える駅である「海芝浦駅」を実際に訪れた際の顛末について、彼女は次のように書いてます。
かくして二十年来の夢はかなった。海芝浦は予想通りに面白いところだった。私は満ち足りた。
だがしばらくするうちに、妙なことに気がついた。もう行ったはずの海芝浦に、なぜか私はまだ行けていないのだった。二十年来の空想の海芝浦はあいかわらず私の脳内にあって、膨らみつづけていた。
こうした体験はそう珍しいことではありません。人は誰しもほかの誰かの記憶をコピーして、いつの間にか自分の記憶と混同してしまいますが、実際にそのオリジナルを自分で体験することを通して、「記憶」にあるものの喪失を目の当たりにし、失われたものに想いを馳せることで、逆説的に生きた実感を刻んでいくことができるのです。
同様に、今週のいて座もまた、そんな顛末をわが事として追体験していくことができるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
綾を織りなす