いて座
大きく終わりを思い描く
無常感を添えて
今週のいて座は、『コーヒー店永遠に在り秋の雨』(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、みずからの世間への向き合い方のスケール感を大きくしていこうとするような星回り。
秋は実りや豊かさを享受する季節でもあり、またひと雨ごとに寒さが増して冬へと向かう寂しさを感じる季節でもあります。掲句の「秋の雨」もどちらかというと後者のニュアンスで使われているように思いますが、そういう最中にあってこそ見えて来るものもあるのではないでしょうか。
確かに街を歩いていると、ときどきその佇まいの閑さに感心してしまうような店に出くわすことがあります。建物というのは、人の手が入らなくなるとすぐにさびれて、荒んでしまいますから、閑かな店であるということは、さりげなく手入れがされていて、しかもそれが大げさにならない範囲にとどめられているということであり、作者はそんな喫茶店のことを「永遠に在り」と表している訳です。
普通に考えれば、そのへんの「コーヒー店」が永遠に在るわけがないんですが、さみしい風情のなかにぽつんと佇む喫茶店というのは、ゴーンというお寺の鐘の音と同じく、どこか日本人にDNAレベルで刻みつけられた無常感に訴えるところがあって、のんびりした時間の流れだったり、実際以上の空間的な広がりを感じさせる。そういう感受性を、私たちは持っていると思うのです。
15日にいて座から数えて「中長期的な展望」を意味する11番目のてんびん座の新月から始まる今週のあなたもまた、そんな感受性に即して、自身の在り様を見直してみるといいでしょう。
締めくくり方こそ大事なれ
例えば、『国破れて山河在り』という詩は日本でも有名ですが、杜甫はこの詩を「白頭かけば更に短く/すべて簪(しん=冠)にたえざらんと欲す」という一節で終わらせており、この締めくくりの一節によってこそ、この詩はいつまでも人々の心に残るような詩となっているように思います。
「簪」すなわち冠とは役人の象徴であり、乱れた世を元に戻すための事業に参画するため、早く仕事に戻りたいという杜甫の思いを表しています。同時に、「白頭かけば更に短く」とあるように、年老いた自分にはそれさえもかなわぬのかという嘆きもある訳で、いやそんなことはないはずだという祈りと嘆きとが、そこには同時にかけられているのです。
これが歯が抜けて物が満足に食えなくなったとか、最後は安らかに逝きたいなどといった個人的な愚痴や願望で終わったならば、この詩のスケール感はずっと小さいものとして尻つぼみに感じられたはず。それは、秋雨のなかで佇む「コーヒー店」が、遠のいた客足を取り戻そうとのぼりを立てたり、割引券を配布して情趣を壊してしまうようなものでしょう。今週のいて座もまた、ひとつ自分の終わり方まで思いを広げていきたいところ。
いて座の今週のキーワード
いつまでも人々の心に残るように