いて座
異なる自分への再構成
線引きをずらすための試み
今週のいて座は、ガンディーの「男が女になれるか」実験のごとし。あるいは、ひとつの信念として両性具有を目指していこうとするような星回り。
インド独立運動のシンボルとして活躍したガンディーは、非暴力的な政治闘争を展開するにあたって、まず自身の妻との性的関係を断たなければならない、と考えたという点で非常に独創的な人物でした。彼は性愛と暴力性とを一つのものと考えていた訳です。
こうした発想は、おそらく仏陀にまで遡るように思われます。というのも、仏像というのは大抵、きわめて両性具有的に造形されますよね。これは占星術でいえば、月と太陽とを対立させるのではなく、一致させていくということにも通じますが、仏陀の場合、物理的に去勢するという仕方ではなく、馬のように男性器を内部に含み込むような仕方で、男が男であることを乗り越えようとしていた訳です。
そして、それと同じことを、ガンディーはその晩年、妻の「残された姪の母親代わりになってくれ」という遺言を実行するという形で、実際にやってみせようとしました。すなわち、当時20歳前後だった姪の食事や衣服、生理現象のことまで、全て面倒をみようとしたのです。ガンディーはそのことを隠さずに自分の機関誌に書いており、そこには「自分は母親になろうとしてマヌーベンを養育したのだけれども、ベッドを共にした時に、自分が男であることを感じた。しかし何事もなかった」などと書かれていたそうです。
のちに、大人になったマヌーベン(姪)はガンディーのことを『BAPU-MY MOTHER』という本の中で書くのですが、これは“私の母親ガンディーさん”という意味ですから、ガンディーの試みは完璧ではなかったにせよ成功していたと言えるのではないでしょうか。
16日にいて座から数えて「探求」を意味する9番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、女でもあり男でもあるというような姿へ向かっていくべし。
オントロジックな飛翔
ランボーの後期韻文詩に『永遠』という作品があり、下にその一節を引用してみます。
また見つかった。/なにが?――永遠。太陽とともに/行ってしまった海。
見張りに立つ魂よ、そうっと告白を呟こう。/そんなにもうつろな夜と/火と燃える真昼の。
人間たちの賛同からも、/ありふれた高揚からも/いまこそお前は抜け出して/……のままに翔んでいく。
なぜなら繻子(しゅす)の熾火(おきび)よ、おまえたちの/内から燃える熱からのみ/<義務>は放射しているのだ、/ついに、というのではなく。
ここで問題とされているのは、「……をめざして」という目的ベースの飛翔ではなく、「……のままに翔んでいく」という飛翔の在り方であって、それは「火」と「水」という正反対な元素(エレメント)が混淆する瞬間においてのみ経験されるある種の<賭け>への没入に他なりません。
しかし「瞬間」とは言っても、どうしても私がいま現に生きている<現在>にはなりきることはできませんから、それは究極に逃げ去りやすい不可能な一瞬であり、ランボーはそれを「また見つかった永遠」と見なしたのでしょう。
この一節に含まれるような<詩的なもの>とは、いつだって自己への満ち足りた同一性をかわしつつ成立する不測の出来事であって、たえず自らを異なるものへと差異化し、生成していく運動としてのみあり得るのだとも言えるかも知れません。
その意味で、今週のいて座もまた、そんな<賭け>へと飛び込んでいくことがテーマになっているのだとも言えます。
いて座の今週のキーワード
「……のままに翔んでいく」