いて座
のろのろ、うろうろ
不完全さの受容
今週のいて座は、『走ること忘れし馬の長閑かな』(増永徂春)という句のごとし。あるいは、これからの時代に必要な感性を補っていこうとするような星回り。
長閑(のどか)な春の日に、馬に乗っていたか、馬車でも駆って野道を過ぎているときの出来事にまつわる一句。本来なら疾風のごとく走るために生まれてきたような馬が、まるで走ることを忘れてしまったかのように、ただノロノロと歩いているというのです。
とはいえ、作者はそのことで馬を咎めているわけではなく、むしろ軽く笑ってどこか楽しんでいるような心持ちがあり、句全体もそうした“軽み”に特徴をもっています。そして、こうした態度は、社会がますます生産性や役に立つことを人間にもとめるようになってきつつある現代という時代においては、忘れてはならないことのように思います。
私たちはもっと仕事をサボっていいし、社会人だとかいい大人とか家族内の役割なんかに縛られなくていい。掲句の馬のように、そうした自分が自分でいることにいちいち意味や価値を見出すことを時に忘れ、ただこの世にこうして在れることを喜べばいい。なぜなら、人間はかならず間違うものであり、完璧にはなりえないから。
とすれば、これからの私たちに真に必要となるのは、自身や他者の不完全さや間違いや愚かさを、笑ったり笑われたりすることを楽しんでいけるだけの感性でしょう。
29日にいて座から数えて「補うべきもの」を意味する8番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句のような“軽み”を自身に取り入れていくべし。
「無漏」へ至る前の「有漏」
明確な目的を持たずにあちこちをほっつき歩く「うろうろ」の「うろ」とは、本来「有漏」という字をあてる仏教用語なのだそうです。
「漏」は穢れや煩悩の意で、あれかこれかと悩み惑い、決断しかねて迷っていく中で、時に人は自分がどこへ向かっているか、またそこへの道のりさえも忘れてしまう。これが「有漏」。
ただし、それが行き尽くところまで行ききって、迷いがなくなるまでうろうろしきってしまうと、今度は反対に「無漏(むろ)」となり、人は安心して旅路を先に進め、目的地にたどり着くことができる。
つまり、「うろうろ」できない人はいつまで経っても気が済まないし、目的地に落ち着くこともできないのだとも言えます。その意味で、今週のいて座もまた、まずは悩みが尽きるまで、ひたすらにうろつき回るだけの覚悟を決めていきたいところです。
いて座の今週のキーワード
“軽み”に達するには相応のうろつきが必要だということ