いて座
受身を学ぶ
心によい博奕を
今週のいて座は、孔子の「博奕(ばくち)なる者」のごとし。あるいは、遊び心を弾ませていく中で運の生き死にを捉える感覚を磨いていこうとするような星回り。
入院などして急に筋肉を使わなくなると、短期間でどんどん落ちて、しまいには歩けなくなるほどに弱ってしまうように、心というのも油断して放っておくと。一気に萎んだり枯渇してしまうものです。例えば、紀元前6世紀の孔子の言行を死後約400年をかけて編纂(へんさん)した『論語』のなかに、心の使い方についてふれた次のような箇所があります。
子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所なし。難いかな。博奕なる者あらずや。これを為すは猶お已むに賢(まさ)れり。
飽食の時代を生きる現代人にとって冒頭の「飽食終日」の言葉は耳が痛いのではないでしょうか。確かにお腹がいっぱいになるとボーっとして頭が働かなくなりますが、どうも孔子はそこから一歩踏み込んで、心もうまく使えなくなると考えていたようです。そして、そんな孔子がお勧めしていたのが「博奕」なのですから、なんとも面白いじゃないですか。
とはいえ、孔子のいう「博奕」とは麻雀や双六などのゼロサムゲームのことであり、あくまで相手の心を読んだり自分の心を隠したりする駆け引きや、運の流れを知ることによって心を用いる訓練にこそ重点があるのだと考えていたようです。
3月21日に春分、そして22日にいて座から数えて「遊興」を意味する5番目の星座であるおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、生活や人付き合いをひとつの「博奕」と考えて、自分なりの打ち筋を追求してみるといいでしょう。
あるギャンブラーの言葉
能を大成した世阿弥の言葉に「男時(おどき)、女時(めどき)」という言葉があります。すなわち、人間の一生に絶えずつきまとう運というものには「自分の方に運が向いているとき(男時)」だけでなく、「何となくいろいろなことが裏目裏目に出るとき(女時)」もあるのだと。
確かに特に後者のときの振る舞い方であったり、やり過ごし方について、現代人はずいぶん下手になってしまったのではないかと思う事はたくさんあります。世阿弥の「女時」という言葉とセットで思い出されるカジノ・ギャンブラーが本業の作家・森巣博の名文句に、
博奕は、負けている時に、その打ち手の真価が発揮される。受身を学ぶ。しっかりと、 学ぶ。この部分がいい加減だと、地獄を見る。 (『賭けるゆえに我あり』)
というものがありますが、なぜそこまで言えるのかというと、人間はかならず間違うからです。今週のいて座もまた、先の森巣の言葉をよくよく胸に刻んでいくべし。
いて座の今週のキーワード
人は間違えなくなると、心が弱くなる