いて座
新しいカテゴリーの創出
境界の複雑化
今週のいて座は、やわらかに「異常者」を拾い上げた熊楠のごとし。あるいは、社会に蔓延する二分法や二項対立的なストーリーから抜け出していこうとするような星回り。
民俗学者の南方熊楠は『鳥を食うて王になった話―性に関する世界各国の伝説』という論文の中で、両性具有者と去勢者を両極とした、さまざまな度合いの性の「中間者」の例だけを集め、男性と女性のどちらでもないか(性の欠如)、そのどちらでもある(性の過剰)ような、特定の性に同一化されない個体たちの物語や生き様を徹底的に物語っていきました。そして自身の実感に基づきながら、性的異常者の本質に関わる部分について次のように説明しています。
以上ざっと述べた通り、半男女と通称する内にも種々ある。身体の構造全く男とも女とも判らぬ人が稀にありて、選挙や徴兵検査の節少なからず役人を手古摺らせる。男精や月経を最上の識別標と主張する学者もあるが、ヴィルヒョウ等が逢うたごとき一身にこの両物を兼ね具えた例もあって、正真正銘の半男女たり。その他は、あるいは男分女分より少なきに随って、男性半男女、女性半男女と判つ。こは体質上の談だが、あるいは体質と伴い、あるいは体質と離れて、また精神上の半男女もある。ツールド説に、男性半男女に男を好む者多いが、女性半男女で女を好む者はそれより少ない。このんで男女どちらをも歓迎する半男女は稀有だ、と
つまり、私たちはつねに精神的な同性愛と異性愛、身体的な同性愛と異性愛のはざまでみずからの性を形づくるのであって、その性の形態は、彼が研究したクサビラ(菌類が生殖のためにとる形態)のように、オス―メスをきっぱりと分割する直線ではなく、やわらかな曲線を描き、無限の度合いをもちながら常に変化し続けるものなのです。
熊楠はそうして強制的に「異常者」として分類され排除されてしまった種族のカテゴリーを自身の直感と実感、そして膨大な文献学上の研究に基づきながら解体し、新たな生に作り替えていきました。
7日にいて座から数えて「合意的現実」を意味する10番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、世間では「異常」とされる生き様や個体、物語をただ排除する代わりに、どうしたらそれらを新たな生に転換していけるか、ということがテーマになっていくかも知れません。
境界が境界でないところ
敵か味方か、メリットかデメリットか、男か女か、自己か他者か。それらは二者択一を迫るという意味で、同じ価値観の上にあるものだとも言える訳ですが、そこから抜け出していくための概念のひとつに「ノンバイナリー」というものがあります。
一般的には主にジェンダーの文脈で、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティを指して使われるものですが、もう少し広い文脈で―例えば「自己と他者をノンバイナリーに考える」とか「自分自身をノンバイナリーに表現できていない」といった仕方で使うこともできるはず。
今週のいて座は、ついついはまり込んでいきがちな二項対立的な図式をどこまで相対化したところに自分自身を置いていけるかが問われていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
分割する直線ではなく、やわらかな曲線を描くこと