いて座
流れの旅路を
事実を覆うフィクション
今週のいて座は、寺山修司にとっての「東京」のごとし。あるいは、変わらない人間なんてありゃしないのだと開き直っていこうとするような星回り。
「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」という少年時代の母の冗談めいた一言を受け、一所不在の思想に憑りつかれるようになった寺山修司は、のちに自叙伝の「東京」という章の中で次のように述べています。
私と故郷の関係は必然性に支えられているとしても、私の生そのものはつねにそこから免れることをもくろみつづけていたし、九鬼周造の書物のなかにの一句のように「偶然性の問題はつねに無に関しており、すなわち無の地平において十全に把握されているもので」あるなら、人生なんてどうせ偶然性に大部分をゆだねた「流れの旅路」だとも言えるのである。
酒飲みの警察官の父と私生児の母とのあいだに青森の地に生まれて以来、おそらく寺山にとって「故郷」とはそのまま受け入れるだけではとうてい耐えられない事実としてあり、だからこそそれを覆うフィクションを欲して東京に来たのであり、詩や短歌を書いたのではないでしょうか。
その意味で、11月30日にいて座から数えて「生きるよすが」を意味する4番目のうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、統計学と必然性以外のものを発見しようという希望を改めて汲んでいくべし。
レイヤーの切り替えスイッチ
例えば詩や猫などもそうですが、この世には合理的にその存在意義が説明できないにも関わらず、「なぜこんなものが?」と思ってしまうくらい人々によって熱烈に大切にされ、愛され続けているものがあります。
そして大抵の場合、そういうものは現実の異なるレイヤーへの入り口だったり、別世界へ意識を飛ばしていくために巧妙な装置であったりします。
もちろん普段は自分のいる世界にとどまって学校に行ったり、あくせく働いたりしている訳ですから、日常の範疇ではそういうものはまず役に立ちません。しかし、そうして何の役にも立たず、ゆえに視界から遠のいて、透明な存在になっていくものだからこそ、私たちはときにそうした存在によって心を休めたり、ラクに息ができるようになるのかも知れません。
寺山が「流れの旅路」や詩や短歌を求めたのも、まさにそういうことなんだろうと思いますし、今週のいて座もまた、世界にはいろんなレイヤーがあって、そこを行ったり来たりしながら自分は生きているんだということを改めて意識させられることになっていきそうです。
いて座の今週のキーワード
おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ